前回のつづき



肺炎から回復した茂造はすっかり体が弱ってしまいます。


ある晩、昭子が寝ていて気配を感じて見たら
なんと茂造が自分の排泄物を壁や障子や自分の体に塗りたくっています。
これは認知症介護でたまに聞く衝撃的な話ですね。
あまりに壮絶な場面なので私は初めて観たときはショックを受けました。



だんだん元気がなくなる茂造は次第に子どもに還っていくようです。



ある日買い物に出掛ける昭子はついてこようとする茂造をなだめひとりで外に出掛けます。



家でひとりでいる茂造はかかってきた電話にパニックになり家を飛び出してしまいます。



帰って来た昭子は必死で茂造を探します。

「お義父さーん」
「おじいちゃーん」

必死で探します。

徘徊して最後、大木の根元に倒れている茂造を見つけ駆け寄り抱きしめます。
「ごめんね
ごめんね…」
「おかあ…さん、、
お母さん、、」
茂造は昭子に抱かれながらつぶやきます。
茂造は昭子に『母』を見ていたのでしょうか。




茂造の葬儀の日
呆然としているとサトシが昭子の元にやってきて一言つぶやきます。
「もうちょっと生かしといても良かったね」
昭子はその言葉になぜかはっとした顔つきをします。
何を思ったのでしょうか。



物語は茂造の可愛がっていた小鳥に昭子が、茂造が唯一話した「もしもし」とつぶやき
凛としながらも大粒の涙をこぼすところで終幕を迎えます。





以上が主なあらすじです。
うまく皆さまに伝わればよいのですが…



【感想】
モノクロの映像がなにか緊張感も感じさせながら、森繁久彌さんの個性、醸し出す雰囲気がどこかユーモラスで、高峰秀子さんの凛とした嫁役が勝ち気でいて優しいところもあり、認知症介護という重いテーマながらどこかほのぼのとした映画です。
この映画ではやむを得ず嫁が介護の主な担い手となりますがその時代ではまだまだそれが主流だった、と思います。
世のお嫁さん方は辛い思いをしながら夫の親のお世話をしていたのでしょう。
なかにはそれが元で家庭崩壊になったケースもあると思います。
なかなか言いにくいエピソードですが、最後の
排泄物をすべてに塗りたくる、という行為はとても壮絶で目を覆いたくなる場面ですね。
でも昭子は夫の父親の介護を時には怒りをぶつけながらですがとてもよくやった、と思います。




最近では男性が母親と思われる人の車いすを押す姿を街中でよく見かけるようになりました。
家庭内でも自分の親は自分が看る風潮が広がってきていると思います。



茂造は昭子にだけ心を開きましたが、最期につぶやく場面のように、混乱する頭のなかで昭子を母と思って慕っていたのでしょうか。

やはりひとの母に対する想いはそれほど強いということなのでしょうか。

最期、茂造の葬儀の際昭子の息子(茂造の孫)サトシのぽつりと言った言葉が胸をつきます。




最後に認知症老人の介護に携わっている皆々様
心よりご苦労を労いたいと思います。
本当に何よりも頭が下がる思いでおります。
自分ももしそのような立場になったらどうするでしょうか?
できるだけのことはやりたいと思いながらもきっと思うようにはできないと思います。




長いレビューと感想をここまでお読みいただきまして有り難うございました。
心より感謝申し上げます。



{お願い}
書かなかったエピソードもありますし、ここに書いたエピソードは前後するものもありますが、あしからず
ご了承くださいませ。