「最後のピクニック」という映画を観ました。
韓国の映画です。
キム・ヨンギュン監督、主演ナ・ムニ、キム・ヨンオク、パク・クニョン。
冒頭、ソファで口をあけて居眠りしているおばあさん(ウンシム)のアップから始まります。
かっ、という喉が詰まったような音を立てて目を覚ます。
よくこんな「老い」を描いたな、この女優さんもよく演じたな、と驚きました。
しわや曲がった腰はよくあっても、醜さに分類されるようなものが具体的に描かれているのをあまり見たことがなかったので。
この映画にはそんな老いの姿が、後になればなるほど出てきます。
殊更にそれを強調するのではなく、自然に。
このウンシムさんはパーマヘアにカチューシャ、普段着のワンピースも小綺麗で小洒落てる。
居眠りしてたソファの近くには白いグランドピアノが置かれ、敷かれている絨毯や他の家具・調度も
上品で、全体的に裕福さが感じられます。
そのうち息子と嫁が娘を連れて訪ねて来ます。
でもいつもと様子が違う。
息子夫婦との会話から、息子テウンはチキン店チェーンの経営者であるんだけど、まずいことが起こってまずい状況にあること、
切り抜けるために母親からの資金援助を期待してやって来たこと、などがわかります。
つまり、ウンシムさんはそれくらいのお金持ちだということも。
そこへさして、また予定にない訪問者。
ウンシムの旧友であり嫁の母親であるグムスンが、美しい薄桃色の韓服を着て、独り賑やかに現れます。
ここで、あ、となります。
最初に冒頭と書きましたが、その前のイントロに、顔は映らないけどきれいなピンクの韓服姿が映るのです。
お袖からは、しわと日焼けで高齢だと見て取れる手が出ていて、その手が辺りに伸びている植物を撫でるように、
愛おしんでいるシーンでした。
なんでこのシーンから始まったんだろう?と疑問に思うのですが、その意味がわかった時(それは映画の最後半)、
心が暖かいようなやるせないような様々な思いでいっぱいになります。
このグムスンさんの訪問も、ウンシムや娘が何故だと聞いてもはぐらかすだけ。
これも後で訳がわかるのですが、それは切実なものでした。
展開とともに解ることと同じくらい知りたいことも増えながら、お話は進み、
登場人物たちの関わりの中で、都会と田舎、親子と友情、若さと老い、そんな対比が描かれています。
めんどくさい息子夫婦のいる自宅で食事したくないと、ウンシムはグムスンと一緒にソウルの街中に出かけます。
ファストフード店のセルフオーダー・タッチパネルを、澱みない操作で注文完結するウンシムを見て、
「さすが都会の女は違うね!」と感心するグムスン。
息子夫婦からの家を売ってお金下さい圧に嫌気がさして、グムスンとともに帰郷することにしたウンシム。
故郷の村に着いて、グムスンの家までの道のりを歩くのに必死。
対してグムスンはさっさと坂道も登っていく。もっと早く歩きな!とウンシムを叱咤しながら。
すっかり都会の女になったウンシムと、村で畑仕事を続けてきたグムスンの対比。
足腰は大事だな、と心で頷きながら観てました。
グムスンは料理上手なようで、ウンシムは舌鼓を打ちながら、「畑仕事辞めて食堂を開きな」と褒めます。
お手製の色んなおかずが並んでいて本当に美味しそうなのですが、それにも増して素晴らしいのは、
庭先の甕に仕込んである保存食の数々や、外の釜で炊いたご飯。
なんと豊かな食の風景なんでしょう。
ソウルでは二人で道路ぎわに座って、ハンバーガーを食べていましたからね。
一見素朴で実はこの上なく豊かな生活、というのは、中国映画の「小さき麦の花」にもありました。
主人公の男性は妻と暮らすための家を、お金がないので自分で作るのですが、その自力度合いが半端ない。
レンガ造りの家ですがそのレンガから自作。
赤い土を掘り出してこねて成形して乾かして、それを積んで家にして。
ものすごい真の生活力。
食事のマントウだって、精白仕立ての小麦粉で作る(麦は畑で育てている)。
精白仕立ての小麦粉で作りたてのマントウ。なんて贅沢なんだ!
こういうのが本当の豊かさではなかろうかと感じ入った映画でした。
話がそれました。
故郷の村で、ウンシムはテホという男性に再会します。
テホの初恋の人がウンシムだったので、テホは大喜び。
グムスンも含めて3人で友情の再度深め合いが楽しく始まります。
グムスン家の庭で食事したりマッコリ(テホは親の代からのマッコリ醸造家)を飲んだり、
海辺に遊びに行ったり。
この楽しい海辺行きがタイトルにある「ピクニック」かと早合点していたのですが、そんなものではありませんでした。
物語が進むに従って、暗い要素が次々に出てきます。
村はリゾート地に開発されようとしているし、離れて暮らすグムスンの息子はそれに関わっていて、
反対派の先頭に立っているテホにそんなつもりではなかったけど、頭に怪我をさせてしまう。
その怪我が元で、テホにはもう手術不可能なほど大きくなった脳腫瘍があるという秘密を、ウンシムだけが共有してしまう。
ほどなくテホはその脳腫瘍のせいで亡くなってしまいます。
それと前後して、ウンシムがパーキンソン病であること、グムスンがひどい骨粗鬆で腰の痛みにも打つ手がないこと、
などが明らかになってきます。
ソウルで会えなかった共通の友達は、海外移住をした子供夫婦によって施設に入れられていました。
暴れるのでベッドに縛りつけられているのですが、それでも「介護ヘルパーは子供たちよりはマシ」と呟きます。
重い言葉でした。
ウンシムの人生も見えてきます。
そして16歳で村を離れたウンシムの病気で亡くなった母のこと、それを嘆き悲しんだ父のこと。
息子がまだ幼い時に夫を亡くし、睡眠薬を飲んだこと。
ここで気付きました。
ウンシムはただの都会のお金持ちセレブ未亡人老女、ではなくて、
あのハイソな家も、ヴィトンのバッグもシャネルのスカーフも(彼女のコーディネイトに使われていました)、息子が事業を始める時の資金援助も、
さらには会社の危機を乗り切るために当てにされるほどの不動産や保険の額も、全て彼女が築き上げて得たものだということに。
息子が、母さんにお前は事業の才が無いと言われた、といっていましたので、彼女にはその才があったのでしょう。
田舎で農業を、都会で事業を、それぞれ営んで来た気概ある二人の女性。
今でも一人暮らししていて、その生活を愛してもいる。
それでも体を蝕む不治の病。
お互いのそれを確認しあった時、「明日・・・(漢字3文字。覚えられませんでした)に遠足に行こう」とウンシムが言い、
一呼吸おいてグムスンも同意します。
大掃除して銭湯に行こう、キンパを作ろう、などとテキパキやることを決めて。
バカな私はなんで一呼吸?キンパと銭湯はともかくなんで大掃除?と疑問に。
そんな疑問に関係なく二人は楽しげに計画を進めていき、銭湯帰りにはグムスンの素敵な花柄のワンピースまで購入します。
二人が遠足に選んだのは、海の見える高い場所。
体がしんどい二人は支え合うように、それでも笑い合いながら登って行きます。
最初の頃と違ってウンシムがグムスンを抱えるように進むので、グムスンの体が相当動きにくくなっていることが示されています。
辿り着いたのは、遠い真下に海が広がる絶壁の美しい場所。
来るのは大変だったけどやっぱり景色がいいねと微笑むグムスンの横で、涙を流し始めるウンシム。
それを少女時代と同じ「おセンチ」という言葉で笑ってあげるグムスン、そしてさらに言います。
生まれ変わっても私はあんたの親友になるよ。
鈍い私にもやっと二人の意図が見えました。
いや、予測はついてたけど、それを思うのが怖くて、避けながら映画を観ていたというか。
ここまでにも伏線となる二人の会話はありましたし。
もう一つの「テルマ&ルイーズ」か。
やけっぱちでなく冷静に、大人らしく色々「大掃除」をしてからの、
選択。
ラストに示唆されている二人の行動は壮絶とも言えるけど、よく考えたら人生は凄絶だ。
二人の人生だけでなく、誰の人生でも大変なことは一杯ある。
それに比べたら、自分が壊れながら生きるのを避ける決断は、穏やかなことなのかもしれない。
皆さんはどう思われますか?
映画「PLAN 75」が途中から思い出されていました。
ウンシムとグムスンもほぼ同年齢。
でも、…七十代はまだ若いですよね。
余談。
