映画を観た帰り、駅のデジタルサイネージでバイデン米大統領が「イスラエルと共にある」と演説していた。
10月8日のことである。
そして10月9日の朝刊の一面にはハマスの報復行為についての見出しがあった。

観た映画はジャンフランコ・ロージ監督の「旅するローマ教皇」である。
報道を見て一番に思ったのは、「この映画を観たところなのに」という暗澹たる思いだった。
いや、私がこのタイミングでこの映画を観ようと観まいと、戦争は起こるのだが。
映画の中で教皇フランシスコが語られていた言葉が心に焼き付いているので、余計にそう思ってしまった。

全ての戦争は欲望から起こる

大義や主義を押し立てても、その通りだと思う。


はっきりとそのように教皇が述べられていることに、戦争に対する厳しい姿勢を見て、その覚悟に衝撃を受けた。

この映画はドキュメンタリー作品だが、ナレーションが一切無い。
ただ淡々と、旅での教皇の姿が映し出される。
戦争だけではなく、大規模災害、貧困、抑圧に苦しむ人々のところに駆けつけ、祈り、言葉をかけられる姿。
カトリック司祭の小児性愛問題についても、司祭たちを前に厳しく言及されていて、これもその姿勢に私が気圧された。
踏み込みにくい(だからこそ長い間耐えることなく発生し続けた問題なのだろうが)はずのことなのに。

もちろん、発されるお言葉の根底にあるのが愛なのだと感じられて、勝手に一緒に前に進もうと思ってしまう。
夢を持つことが大事だとも仰っておられて、すぐに叶わなくてもいつかは実現すると言われれると、
そうだ、自分で解決できなくても未来に繋ぐことが大事なんだ、と思える。

ドキュメンタリーがそんなに好きでもないし、無宗教だし、カトリックやキリスト教にシンパシーを感じる訳でもない私だが、

観て良かったです。


そして、冒頭のイスラエルとパレスチナの「戦争状態」報道で思い出した映画が2本あります。
「ガザの美容室」と「テルアビブ・オン・ファイア」。

「ガザの美容室」では、美容室に通ってヘアカットやパーマやメイク(この映画によると、このあたりの美容室では脱毛もやってくれるらしい!)

をしてもらって綺麗になったり身綺麗になったりすることや、それに伴うおしゃべりも、極限下で正気を保つのには大事なんだな!と言うことがわかります。

むしろ、正気を保つために、それらが必要。

コロナでよく言われた「不要不急」や、太平洋戦争で言われた(私は言われてないけど)「欲しがりません勝つまでは」「贅沢は敵だ」

などの槍玉に上がっているものたちが、心にどんだけ必要で、それが体にも影響するのですから。

心の状態で免疫力も変わりますものね。


そして「テルアビブ・オン・ファイア」。
これで意外だったのは、イスラエルとパレスチナで人や物、文化の行き来が、制限されてはいるけど、
全く無いわけではないのだな、ということでした(私が無知なだけでしたが)。
主人公の青年は国境の検問を通りながら通勤しているし、イスラエルの女子達(お姉さんもおばちゃんも)はみんな、
パレスチナ制作のテレビドラマ(恋愛絡むメロドラマ)に夢中。

イスラエル軍人の旦那さんに「敵国制作のテレビやんか!」と怒られても、推し活力で押し切って、観てる。



推し活が主題ではなく、戦争がテーマではあるのですが、観ていて思ったのは、

政府やテロ組織は戦争を進めるけど、一般の人々の多くは戦争したくないんだな、ということでした。
自分に置き換えてみれば当たり前のことだとわかりますが、再確認した気持ちになりました。

戦争が国単位で語られる時、一般国民の姿は隠れてしまいます。

国民が国なのに。


ああ、だからこそ教皇は避難キャンプや刑務所に行かれて、一人一人と抱擁や会話を交わされたのだ。
困難に立ち向かわれて強いメッセージを発されたのだ。

と、今回の映画「旅するローマ教皇」の内容に立ち返りました。


色んな映画で、繋がりました。

愛や希望、夢、非暴力、戦争の否定、語られるものが共通していれば、想いがつながる。

思い出したり、考えたり、そんな機会をくれてありがとう、映画。