2005年1月
1月26日午後11時過ぎ、義母を家に連れて帰って来た。
ワイドショー的に言うと「変わり果てた姿になって家に帰って来た。」ということになるのだけれど、変わり果てたのは義母だけではなく、この後の私の生活も変わり果てたものになってしまった。
これ以降、我が家の決め事はすべて私を通して決定されることになったのだ。
まず、義母の布団を敷くことから始まり・・・
お義母さんの友人知人に知らせなきゃならない。
近所の人に知らせなきゃならない。
お通夜と葬儀の日取りは?
お寺は?
火葬場は?
弔問に来てくれている親戚の昼の食事はどうする?
座布団は?
湯のみは?
大きいことから、ちょっとした事まで、誰もが私にどうしたらいいか尋ねてくる。
もう、忙しくて忙しくて泣いてる暇なんて全然ない。
もちろん、皆、手伝ってくれるけど、でも、指示は私が出さなきゃいけない。
葬儀屋さんとの話し合いにも義父や夫、義弟と一緒に私も呼ばれる。
何故なら、事細かに決めなくてはいけないことの全ての最終決定を皆が私に求めてくるから。
長男の嫁である私を立ててくれる・・・というよりは、今までこういうことは義母が一切を取り仕切っていたから、義母がいなくなったその時から、義母が取り仕切っていた全てのことは私に引き継がれた・・・と言った方が正しいかもしれない。
私にお義母さんの代わりなんて出来るわけが無いじゃん!
お義母さ~~~~ん!!
と、泣きそうになると、「ミケ子さん、ちょっと~!」と呼ばれる。
本当に泣いてる暇なんてこれっぽっちも無かった。
この日からもう、やるっきゃない!! という、これから長く続くミケ子の怒涛の日々が始まったのだった。