保育園の時も2週間入院しては2週間退院のサイクルのままでした。

その為2年保育となり私が入ったクラスは同じ年代のこばかりでなく、ひとつ年上の年長さんたちと同じクラスでしかも同じ年代の子達大勢と一緒にいたこともない私は、人見知りってのもあり朝は行きたくないをよくやっていました。

そんななかでもやはり私の顔は人と違うというだけでよく親御さん達からも、もちろん子供達からも変な目でみられ、いつも向けられる視線は

「気持ち悪い」「近づくな」「軽蔑」等々

もちろん言葉でもいわれてました。

「気持ち悪い」「こっちくるな」「バケモノ」「お化け」「腐ったリンゴ」「さわられたらうつる」
等々様々な言葉がありました。

そういったこともありますます人と話すこと、保育園が苦手となっていきました。

人からしたらたったそんくらいが私にはずっといわれ続けていたので辛い現実でした。

しかもそれが同世代、その親、その祖父母世代からずっとされてきました。

保育園に行きたくないをするとたまに母は私を家に連れて帰ってました。しかし、母はすぐ仕事のため私を家の前でおろしてそのまま仕事に。
家には祖母がいたのですが、いつも怒られるかもとかいろんな感情からか家に入れずいつも玄関前でちょこんと座ってました。

祖母はそんな私に気づくとそっと優しく家にいれてくれました。そして祖母と一緒によくテレビをみてました。しかし祖母は子供向けのテレビじゃなくいつも時代劇をみてました。今思うとアレッ?とも思いますがそれでもいつも一緒に時代劇を見てました。そのせいか時代劇大好きです。

保育園のお迎えにたまに祖母が自転車で迎えに来てくれてたのですが、私に嫌な言葉、悪口等言われたときは祖母がいつもその相手に怒ってくれていました。父方の祖母はそんな人でどこかに急にバスで出掛けるときもいつも一緒に連れてってくれました。
私はそんな祖母が大好きでした。

父方の祖母はそんな祖母でしたが、母方の祖母にとっては私は恥ずかしい孫だったと思います。

母方の実家に行ったときは私は外出してはいけない、正月やお盆の時はテレビがある部屋からは絶対でては行けない襖をしっかり閉めそこを開けてはいけない、そこに泊まるときは朝もし寝坊して人が来たとき目に入ってはいけないので寝るのはいつも座敷の一番奥トイレにつながるドアの前。もしそこに寝れないときは、布団が一枚しかひけないような小さな縁側に一人で寝る。

外出してはいけないもいつも一緒にいわれてたのは、そこに住んでいる内孫は男の子だったので、男の子が女の子といると恥ずかしい、恥をかくから一緒に出てはいけない外では話しかけてはいけないでした。

しかし私の姉は一緒に外にでていいし、話しかけてもよくなぜ私だけこんなこといわれるのかと思っていました。

そんな孫差別というか私にだけそんなこと言う母方の祖母に父はとてもいやがって怒っていたようで、母にもう帰ろうとか言ってたようですが、母はまぁまぁといった感じで帰ろうとはしなかったようです。

たまに母方の祖母宅に行ったとき姉達と近くのお店にお菓子を買いにいこうとするといつも祖母が言うのは、髪をちゃんとおろしていきなさい、帽子があればしっかり被りなさい、下を向いて歩きなさい、内孫の男の子とは離れて歩きなさい等々私にだけいつもいつもいっていました。

これは20代過ぎて知ったことなのですが、母方の祖母は祖母宅の近所の人たちにはうちの母の子供は2人しかいない、上の男の子と女の子だけといっていたそうです。しかしうちは3人兄妹私はいない存在だったようです。だから3人兄妹だったのとビックリされてました。