三宅香帆 著。
名作である。
一言で言うと、現代のホワイトカラーは日々の生活に必死で、本など読む余裕がないのである。
・”花束みたいな恋をした”は自己啓発書をめぐる日本の階級格差の物語が挿入されている。
こないだまで文化的な趣味を持っていた彼氏が、今は自己啓発書を読んでいるなんて、ちょっとカッコ悪いというささやかな蔑視。
・本を読むことは、働くことの、ノイズになる。
読書のノイズ性ーそれこそが90年代以降の労働と読書の関係性だった。
・情報は、ノイズの除去された知識である。
・本が読めない状況等は、新しい文脈を作る余裕がないということ。
自分から離れたところにある文脈をノイズだと思ってしまう。
そのノイズを頭に入れる余裕がない。
だから私たちは、働いていると、本が読めない。
・私たちの敵は、自分の内側にいる。新自由主義は決して外部から人間を強制しようとしない。
むしろ競争心を煽ることで、あくまで自分から戦いに参加させようとする。なぜなら新自由主義は
自己責任と自己決定を重視するからだ。
・「自分はこんなに仕事を頑張った、たくさんの情報を処理して、たくさんの成果をあげた」と自らアピールしたくなってしまう。
自らで自らを競争に参加させ、そして自分で自分を搾取してしまうのだ。本当は、疲労しているのに。
・バーンアウト、そこに込められているのは、密かな自画自賛と、自分は悪くないという気分。
疲労するくらい頑張っていないと、成果なんて、出ない。
ー無理のしすぎがタブーではなく、むしろタブーとされているのは仕事ができないと認めることだー
(なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか より)