素人が一人でできる家系調査  4 | 始めのはじめは一(ハジメ)なり

始めのはじめは一(ハジメ)なり

先祖・家系調査の具体的な方法をご紹介します。
大好きな新選組隊士・斎藤一を調べていたら
自分の先祖に関係があった!
そして知った先祖とは、なんと明智光秀だった!
そこから広がる史実と閨閥の世界。

さて、曽祖父の実家中村家の除籍簿を無事取得

しました。
この頃『漂泊の志士 北有馬太郎の生涯』という

伝記を手に入れていたのでその本を見てみると、

北有馬太郎の日記が載せられていて、その中に

「北有馬の叔父甫助に会う」という記述が

ありました。
そこで除籍簿を見てみると、北有馬村に住む

「甫助」という人が確かに除籍簿に載っていました。
北有馬という地名から、わが家に連なる人を確認

することができたのです。
この除籍簿と、他に島原藩の藩士名簿、中村家の

歴史が書かれた本等を集め、北有馬太郎

(中村貞太郎)がわたしの家系の人であることを

完全に証明することができました。

このように親類の方まで戸籍を辿っていくと、意外な

人と繋がっている可能性があります。




次に同じ方法で祖母の実家の除籍簿も取得する

ことにしました。

まず、すでに取得している父方の除籍簿を見ます。
そこには祖母が長崎市内のH家からわたしの祖父に

嫁いできたことが記されていました。
そこで次に祖母の実家の本籍地である長崎市役所

から除籍簿を取得しました。
そこには祖母の親兄弟や親類の情報が記されて

います。
祖母の実家の話などまったく聞いたことはなかった

ので、そこに載っている名前ははじめて見る名前

ばかりでした。
除籍簿をよく読むと、祖母の実家は天草から長崎に

やって来たことがわかりました。



次に天草の役所に除籍簿を申請してみましたが、

残念なことに記録が古すぎてすでに保存期間を

過ぎ、廃棄処分になってしまっていました。
できれば保存期間を定めずに永久保存して欲しい

ものですが仕方ありません。

手に入った分の除籍簿だけでも、祖母の実家に

関してとてもおもしろいことがわかりました。
こちらこちら に書いてありますので、よろしければ
ご覧ください。




余談になりますが、文久二年(1862)の寺田屋騒動に

絡み捕縛され、薩摩に護送される途中の船上で

殺された浪士は北有馬太郎の実弟・中村主計で

あり、彼もわたしの先祖の一人だとわかったの

でした。




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