源頼光と蜘蛛切 | 始めのはじめは一(ハジメ)なり

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先祖・家系調査の具体的な方法をご紹介します。
大好きな新選組隊士・斎藤一を調べていたら
自分の先祖に関係があった!
そして知った先祖とは、なんと明智光秀だった!
そこから広がる史実と閨閥の世界。

源氏の名刀シリーズ最終回です。




源(多田)満仲から源頼光に受け継がれた二振りの

太刀の一つは髭切(鬼切)
もう一つは膝丸、その異名は蜘蛛切(くもぎり)と

いいます。




渡辺綱が一条戻橋で鬼女の腕を名刀髭切で

切り落としたその同じ年の夏。
綱の主君・源頼光は原因不明の発作(瘧おこり)に

冒されました。
『平家物語』によると、頼光の病はいくら祈祷しても

治らず、頭痛発熱、七転八倒の苦しみが30日以上も

続いたとあります。
主のただならぬ様子を案じた四天王は手ずから

看病しました。
四天王が仮眠を取っていた夜更け、一人寝所に

残された頼光に異変が迫りました。



「幽かなる燭(照明)の影より、長七尺(約210cm)

ばかりなる法師するすると歩み寄りて、縄をさばきて

頼光に附けんとす」



忍び入り、縄で絞め殺そうとする法師に気付いた

頼光は「何者なれば頼光に縄をば附けんとするぞ。

悪き奴かな」と言い放ち、枕元の刀架に立てかけた

膝丸の太刀を一閃させました。



異変に気付き駆けつけた四天王が室内を調べると、

血が点々とこぼれていました。
屋外に続く血の跡を追跡すると、北野神社の塚に
たどり着きました。
掘り崩してみると、四尺(約120cm)もの大きさの

山蜘蛛が地中に潜んでいました。
この蜘蛛が法師に化け、源氏の棟梁を呪詛し、

亡き者にしようと館に忍び込んできたのでした。



退治した蜘蛛は鉄串に刺され、河原に

晒されました。
凶悪な蜘蛛を切り源氏の棟梁を守った太刀は、
こうして蜘蛛切の太刀と呼ばれるようになりました。





髭切改め鬼切、そして膝丸改め蜘蛛切。
この一対の太刀は揃って源氏の重宝となり、

頼光の甥・源頼義からその嫡男の源八幡太郎義家

へと受け継がれていきました。


朝廷の武力である清和源氏は異形退治の名刀を

携え、頼光の後の時代にも血の粛清を

続けることとなりました。
源頼義の時代には前九年の役(1051~62)、

義家の時代には後三年の役(1083~87)に参戦し、

東北の豪族を討伐しました。
前九年・後三年の役は、かつて桓武平氏が占拠した

東国の地に源氏が食い込み、後の源平合戦を経て

鎌倉幕府樹立へと繋がることとなる
合戦となりました。



武士の棟梁たる源氏の名を不動のものとした

源頼義・義家親子の武威を、反源氏目線で描いた

『平家物語』は「何(いずれ)も剣の徳に依て

敵をば取りてけり」と淡々と伝えています。
英雄に討ち取られた物言わぬ人々の声にならない

声を、そっと伝えているのかもしれません。







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