中村家と松光寺 | 始めのはじめは一(ハジメ)なり

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先祖・家系調査の具体的な方法をご紹介します。
大好きな新選組隊士・斎藤一を調べていたら
自分の先祖に関係があった!
そして知った先祖とは、なんと明智光秀だった!
そこから広がる史実と閨閥の世界。

中村シモが一目惚れした浄土宗僧侶・與芝真道

という人物は、幼い頃から華道を学び、池坊学園の

創立に関わったとK藤家に伝わっています。



真道が住職を勤めていたのは東京・高輪の

清涼山松光寺 です。
松光寺の開山は桶狭間の戦いの翌年、

永禄4年と伝えられています。

江戸期には大名の菩提寺として庇護を受け隆盛を

極めたそうですが、維新後は大名の存在がなくなり、
寺はしだいに衰微していったそうです。



真道とシモの間に生まれた第19世住職與芝眞雄

上人は、寺の状況を憂えて医師となり、松光寺の

近くに医院を開業。
医師と住職を兼務し、寺院経営を安定させました。
医師となったのは母であるシモの影響も

あったのでしょうか。

眞雄上人の意思を受け継ぎ、そのご子息である

現住職、第20世與芝真彰氏も医師と住職を

兼務されています。





松光寺の存在を知って驚いたことがあります。
それは松光寺を庇護していた大名家の一つが、

熊本の細川家だということです。
細川家は松光寺を江戸における菩提寺と

していたのでした。

シモが與芝家松光寺に嫁いだのはたまたま

與芝真道と出会った偶然の結果なのに、ここでまた

細川家と繋がっていたとは本当に驚きました。





松光寺を江戸菩提寺としていたもう一つの大名家は
上山(カミノヤマ)松平家です。
松光寺という寺号は初代上山藩主松平信通の母、

松光院にちなんで付けられたそうです。


松光院の夫で明石藩主や郡山藩主を務めた

松平信之の官位は日向守です。
日向守といえば…。





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