春野町とは、


朝や夜や昼に防災無線チャイムがなる田舎ですが、
わたしにとっては思い出深い祖母の家がある山奥です。

柏餅とその年の新茶。


こんな山奥です。

子供の頃は長い休みのたびに1週間くらい滞在してました爆笑爆笑爆笑
祖父や祖母が元気だった頃は、
色んな田舎の遊びをいとこ達としてた気がします。

二人とも働き者だった気がします。
いつも動いていたことを思い出します。
オンとオフがしっかりしてたような。

祖父は農業と山の仕事をしていていた感じで、
お茶以外も椎茸を作ってて、
椎茸を摘むのを手伝いに行ったりしました。
昔は椎茸あんまり好きじゃなかったけど
椎茸とシーチキンとマヨネーズと玉ねぎをオーブンで焼いた禁断の食べ物を知ってから、
椎茸が好きになりました。

大人になって、自分でスーパーで椎茸を見たときに、
椎茸ちっちゃ!!
って思いました。
田舎の椎茸は大きくて、肉厚で、こぼれ落ちそうなものが多かったのでおねがいおねがいおねがい
あと、傘が開いてるのとかもあったなぁ。
そんな椎茸食べてたのは、贅沢だったんだなぁと後から気づいたのでした。

緑茶に関しても、お茶を買ったことがなかったので、嗜好品だと知りませんでした滝汗滝汗滝汗
飲んでも飲んでも減らない物だと思ってました。
ちなみに、みかんも🍊食べても減らないいつもある果物でした😆
(B級ミカンをどでかい袋で買って家に置いてあったから)

椎茸、緑茶に、みかん、これだけでもだいぶ豊かだったんだなぁと今となっては思います。

ちなみに、みかんは一生分食べたので、今は食べたいと思わないです笑い泣き笑い泣き笑い泣き
柑橘系は飲んだり食べたりします😆

それはさておき、
祖父は手先も器用だったので、時間があれば竹で、色んなものを作ってくれました。
結構遊んだのが竹馬とか、竹トンボとか。
竹馬は全然出来なかったですけどね笑い泣き笑い泣き笑い泣き

そして嬉しかったのは、竹をくり抜いて作った
流しそうめんの土台。
お箸と、お椀も竹で作ってくれました。
流しそうめんはテンション上がったなぁ。
わたしはあんまり表情がなかったと思いますが、
今でも思い出すくらいに嬉しかったのですおねがいおねがいおねがい

祖母は、野菜とかを作ったりしてました。
手が空くと、ご飯の作り方を教えてくれたり、
手先が器用だったので、お手玉の作り方とかを教えてくれました。
この祖母が大変面白いキャラで、入れ歯外して笑わせてくるんですね😆
とてもユニークでキュートな祖母でした。

秋になると、彼岸花が咲き乱れるから
わたしはこの世の世界とは思えないくらいそれが美しいと思いました。

何故か最近、春野町の事をよく思い出します。
実家が恋しいことは全くないんですが、
春野町は恋しいなぁと思うので不思議ですね。
茶畑。