kouign amannを食べた。

塩キャラメルの味だった。


子供の頃はじじばばの家にいとこで集まって

いつもお盆をした。


12時に放送が流れるから

戦争で死んだ先祖を思って

(会った事ないけど)

黙祷した


じーちゃんの弟が特攻隊とかなんかで

戦死してる話を聞いたし

ばーちゃんも若い頃、竹槍で戦う練習をした話を聞いた

じーちゃんからは日本兵が逃げてきた話とかも聞いた


戦争の話は結構身近だった。


田舎だから爆弾がどうのこうのというはなしは

そんなになかったけど、

テレビもない時代だからな。


もっと情報が少ないというか

日本人だから戦うという状況だったろうな


じーちゃんは他界した


ばーちゃんはもう脳梗塞でうまく喋れないから

戦争の話をしてくれる大人はどんどん減ってるけど、

聞いた思い出だけは発信できるので

思い出したら書いておこうかな。  



教科書も変わって、問題もいろいろあるけど

隠されてることとか

明るみに出てることとか

慰安婦についてとか確かに昔は教科書に載ってたし、

なんだろ?と思った。


後から知ってびっくりしたが。


戦争は儲かるというけど、

誰かをお金のために殺した上でのお金で幸せに暮らすって

どんな気持ちだろう


また国のためだとしても人を殺さないといけないのは

お互いどんな気持ちだったんだろう

国と国があったとしても戦わさせられてるのは、

わたしみたいな一般市民だから


と、考えると、殺し合いはしたくないねー。

助け合いじゃダメなのかね。

殺したあとが大変だと思うんだよね。

手に残る肉の食感とか、匂いとか

うまく殺せなくてのたうちまわる人をみて

どうしようってなったり。


話し合いのために言葉があるなら

話し合えば良いのではないですか


もう無理しなくても生きていけるなら

無理しないと生きていける世界へ

援助する力を注いだら良いのにね。


タワービルとかいらない


家のない子供に二階建てのインフラ整った家を。


という偽善的なことを考えるわたしは

生き抜く気力があまりないから

戦争になったらすぐ死ぬと思う。


戦争しなくても、災害で大変なんだから

その戦闘機の技術で、困ってる人を助けてあげて欲しいです。


頭がいい人なら、もっと要領よく

いい世界が作れるんじゃないのかな

誰かを潰すとかじゃなくて。


とか考えちゃうわたしは偽善者




なすにのって

猫達も帰っちゃうのかな

また来てね。


そのうち会おうね。






1945年のこの日、第二次世界大戦が終了しました。

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