2017年も残すところ半月。

ライフとワークの視点で
この一年を振り返ってみたいと思いますニコニコ

★1月時点の状況
 私→都内時短勤務ワーママ、息子と2人暮し
 夫→バンコクで駐在員、単身生活
 息子(3歳)→認可保育園通園
 


1月


ダイヤグリーンライフ
1月1日入籍記念日は今年もスルーアセアセ
実家で息子とぬくぬく過ごす
夫はバンコクでゴルフ三昧

息子が卒乳し、長期授乳終了
その後、週末の度に熱やら嘔吐を繰り返し、
体調不良にヒヤヒヤしながら過ごした月。

それでも、有給消化は2.5日。
ファミリーサポートのご夫婦にもお世話になりつつ、後ろ髪ひかれながら出勤してました。

子供が体調不良の時ぐらい、無理させず、
私もしっかり休みたいと思っていました。

案の定私も喉が腫れ、大嫌いな耳鼻科に2ヶ月通うハメになりました。
(先生は良い人です。待ち時間が長すぎるだけ)


ダイヤオレンジワーク
昇格論文提出

育休復帰から丸1年
組織変更があり、会社として安全品質にさらにテコ入れすることになり、私は事務局として各支店の担当者と共に活動方針や計画を練ります。

初めての試みで色々試行錯誤しましたが、
今までバラバラの活動だったものを、目指す姿の実現に向けて、意味づけしたり内容を考えたりすることはやりがいがありました。

 

2月

ダイヤグリーンライフ
育休復帰から初めて、
子供と遊びに行くために有給を取得しました。

妹が実家から遊びに来たので、さらにもう1日有給取得。当時の私にしては珍しい行動。

コンタクト性の結膜炎が悪化し、
近くの眼科に通うも一進一退の頃。


ダイヤオレンジワーク
大きなトラブルが立て続けに発生。
それに起因して仕事量増大し、手が回らなくなりました。

持ち帰り残業が続く中で、
もう家で仕事をするのはやめようと決めます。
仕事の進捗はかなり遅れましたが、今も何とか回っています。
(ただ、この時先延ばしした仕事が一つ終わってないので、年内に片付けたいです)


休日が休日として過ごせるようになりました。
(でも、まだ頭のどこかでは考えている状態でした)



3月

ダイヤグリーンライフ
夫の一時帰国(3ヶ月ぶり)
そろそろ帰国辞令かもという話に、一緒に暮らすシュミレーションしなきゃと思い始めます。

息子は年少の年
今の園で、一年を迎えられそう。
指定の制服やバックを購入し、新年度の準備をしながら、このまま今の保育園を卒園できれば良いなと願います。

今の街が気に入り、家を買うなら?とリサーチしてみたりしていました。


ダイヤオレンジワーク

昇格論文が通り、面接に進みます。
実は夫も昇格の年で、毎日のように「不安だ」とか、「落ちる」とかの後ろ向き思考にイライラしていました。
私も夫も落ちるはずが無いと言い続けていました(笑)


面接で、
「所長になりたいか?」と聞かれます。

絶対に聞かれるはずの質問でした。
(管理職資格を得るための昇格でした)



「やってみたいと思います。
 でも、現状のままだと自信がないです。」



面接なんだから、
もうちょっと答えようがあったと思うのですが、

「自信がないです」

は素直な気持ちでした。
つい口から出てしまいました。


現場ありきの当社では、
所長を経験せずしてどーするの?という雰囲気があります。

所長は、中小企業の社長のようなもので、
大きい営業所は月3億以上の売上、小さい所は1千万くらい。赤字もあり。

所長は、その営業所の業務運営の責任を負います。当然、従業員の採用権もあります。


最終責任は会社にあるとはいえ、
得意先と従業員への責任を負うわけです。

24時間365日の現場が多く、
トラブルがあれば、所長が動くのが当然。

働く時間に制約があり、
パートナーの協力も得られない状況では

「できない」

と、判断していました。


今思えば、

男性のロールモデルしかいなかったこと

働く事への制約を強く感じており、
その大部分を夫のせいだと思っていたこと

が分かります。




以上、1月〜3月の振り返りでした。



この頃の私をまとめると

✔育休復帰&シングルワーママ生活1年で疲れていた

✔でも、仕事は一回りして自分で回すコツもつかめてきた

✔今の会社で昇進する自分の姿が見えない

✔今住んでる土地が好きになり、子供が中学に上がるぐらいまでは、ここで住んでも良いなと考え始めた

✔夫が帰国したら、私も転職も考えても良いかなと思っていた


夫は関東圏に帰国すると信じて疑わなかった頃です。


長くなりすぎちゃいました。
4月〜6月に続きます。