前回の記事から続きます。
バンコクに単身赴任していた夫が札幌への辞令が出て、別居継続決定となった時
私は「離婚しようと思った」という話。
振り返って考えてみると、
5年以上に亘る、しかも妊娠~子育て期の別居は、
少なくとも私にとって夫への愛情を冷めさせる以上の何物でもなかったということ。
頼りたいときにすぐそばにいない。
子供の少しづつの変化を知らない。
私の時間に追われる日々を知らない。
だから、話が食い違う。
物理的にも精神的にも、夫抜きの生活を標準としなければ、
私は一人でやっていくことはできませんでした。
すくなくとも、当時の私はそうだったと思います。
それでも、心の隅っこには夫と同居して一緒に子育てしながら働く生活への憧れがありました。
同じ保育園の送迎や行事にお父さんが来ているのを見ると羨ましかったし、休日にお父さんと子供だけで公園で遊んでいる姿もいいなぁと思って見ていた。
夫のバンコク赴任が終わって、関東に帰任すれば叶うかもしれない。
すぐにはできなくても、それに向けて努力してみようかと。
だから、夫の札幌行き辞令の威力はなかなかのもので。
私が一人で頑張って獲得してきたこと
・念願の認可保育園への入園
・会社での業務や立ち位置
・今の地域での知り合いとの関係性
・自宅のインテリアや家事効率化のための工夫の数々
・子供や私の病院・美容院・習い事の選定
が、ゼロになるわけです。
すべて夫のせいだと思いましたよ。
そして、今を手放したくないという思いから冒頭の「離婚しようと思った」につながる訳です。
眠れず1日考えてみて、
・(当然ですが)辞令は夫にはどうにもできない
・私は収入があることにはこだわりがあるが、今の仕事にはこだわっていない
・本当に腹が立ったのは、会社側の処遇(同じ会社だから)
もう1日考えて
・息子は夫に懐かないけど嫌いなわけじゃないし
・札幌に住むって魅力的かもしれないし
・そもそも、何で私は夫と結婚したんだっけ?(←未だ、思い出せないほど重症)
ということで、「離婚」という選択肢は自ら取り下げました。
そうすると、今の私の課題は「家族の形」を作ることであり、
あと何年続くか分からない別居生活を自分で終わらせることではないかと
思ったのです。
別居のままでも変化はできるのでしょうが、別居生活の期限は見えませんし、息子は成長していきます。
それに、関東と札幌はまだ遠くて。
飛行機の便は良いのですが、毎週というわけにはいかない。
却ってバンコクよりは移動しやすいものだから、二重生活費も交通費も跳ね上がります(切実)。
正直、共働きの収入も旅行じゃなく、家族が揃うために使っています。
必要経費の額が半端ないのです(フツーの会社員なのに)。
そんなこともあり、「同居」を考え始めました。
次は、「同居」するときの私の仕事について。