昭和天皇は宮内庁が作成したお妃リストに入っていないのに、マスコミが
「お妃候補最有力者」と大々的に報じる雅子さんを、かなり警戒なさっておられ
(チッソとの関係だけでなく)、宮内庁は浩宮徳仁親王殿下に
「将来皇后になる方に赴けない地(熊本県)があるのは望ましくない」と進言し、徳仁親王はそれを一度了承なさり雅子さんは候補から正式に外されます。
しかし昭和天皇ご崩御から1か月後、徳仁親王は「やはり雅子さんを」と望まれ、雅子さんはお妃候補に返り咲いた経緯があります。

この辺りの背景には徳仁親王が兄と慕っていた、高円宮憲仁親王殿下・同久子妃殿下の暗躍があったようです。

高円宮両殿下も池田大作氏と昵懇の仲。いくら外務省や小和田家が躍起になったところで、雅子さんを「皇太子妃に是非」と推したところで、未来の天皇におなりになる徳仁親王殿下においそれと近付けたか。
この点にご注意ください。
皇室側に手引きする存在がなければ、雅子さんが徳仁親王殿下と出会うなど有り得ません。
そもそも徳仁親王殿下は当初、雅子さんにさして強い関心をお示しでなかったと仄聞します。
出会いの場となったパーティから1年経って高円宮殿下が宮邸で夕食会を開催し、そこで再会しますが
それから5年、何の進捗もないままでした。徳仁親王殿下には雅子さん以外の「想い人」がいらしたのです。
その方とは外務省の妨害があり、破談になっています。

大鳳会所属の元同僚との交流は皇室に入ってからも続いていますし、
実父・恒氏は外務官僚時代、池田大作氏が外遊する際に様々な便宜を図ったことを、第134回国会特別委員会で指摘・追及されています。

平成20年、皇太子殿下がブラジルご訪問なさりパラナで開催された昼食会で、大作氏の長男と並んで歓迎式典に出席して、その様子が聖教新聞の一面を飾ったこともありました。

天皇は祭祀王です。
全国各地に存在する神社の長です。
そんな人の元に創価学会員の雅子さんを送り込もうと目論み、成功させてしまった