だいたい、フランスでは、「結婚」という形式にこだわらないカップルがきわめて多い。
日本でいういわゆる「事実婚」「内縁関係」がそれにあたるが、日本のようなうしろめたさ、日陰もの的なイメージをまったく含んでいない。
むしろ事実婚のほうが一般的なのだから。
そして、「愛の国」フランスでは、二人のうちのどちらかが、他の人に恋心を感じるようになったら、この関係は終わる。
二人の間に子どもがいようが、どちらかがあるいは両方が有名人であろうが社会的に地位があろうが関係ない。
そこに、「人の道をはずれている」と形容されるものは何もない。
もちろん、フラれたほうは、感情的にわりきれないもの――嫉妬や未練や悲嘆など――もあるだろう。
しかし、それはあくまで当事者の問題である。
時の経過がわだかまりを解消すれば、元カレとその今カノ、元カノとその今カレが、おたがいの子どもを連れていっしょにキャンプに行くなんてのも、さほど珍しいことではない。
この割り切り方は、むしろすがすがしいとも言える。
私もこの考えに賛成。
不倫で社会的に抹殺される日本の文化が狂信的で強圧的で怖い。
仕事を干される、失職する、示談金を払う・・・
人の心も愛も自由なんだから、相手は自分のモノではない。
ましてや仕事や作品や職業を追われることはない。
ただ、家庭や親や子供は被害を受ける。
それも
「パパとママはもう愛し合っていない」と子供たちがどう割り切るか・・・だ。
その辺りの成熟度が社会に必要なんだ。
親の都合で引っ越したり、生活が不安定になることも・・・
でも親が子供の犠牲になることはない。
私は不倫でなくても広末涼子という人間が嫌いなのであって、その作品にも家庭にも
興味がまったくないので、どうでもいい。
不倫で作品がお蔵入りになったり、失職するのはキチガイじみててイヤだな、と思う。
日本はバカに世論だの、評判だの、うるさすぎないか・・・
ま、ダウンタウンの浜田みたいに不倫、浮気、一切オトガメ無しの猛者もいる。
浜田はもともと暴力的な、無頼で乱暴な危険な男で
家庭的な幸福や妻との調和、などファンは求めていないのかもしれない。
私個人は、家庭が夫婦の不和と同時に解散するのは当たり前だし、
そのことで他人がとやかく言うのはお門違いと思っている。
隣家のベッドで誰が何をしようと関係ない。
興味もない。
そういうオトナのフランス人は好きだ。
>小説のタイトルである『エ・アロール』(Et alors ?) というフランス語の表現は、ミッテラン大統領が週刊誌記者から女性問題をたずねられたときに発した一言に由来している。
ミッテランは、正規の配偶者のほかに愛人の間に子どもをもっていた。
記者からその辺の事情を突っこまれたとき、「それがどうしたの?」と返したのだ。
では大統領のこの返答が顰蹙(ひんしゅく)をかったか?
「スキャンダラスな」私生活ゆえに失職したかといえば、とんでもない。
そもそもフランス国民にとってミッテランに〝隠し子〟がいるということは、公然の事実だったからだ。
成した仕事と私生活は別。
子供を愛しているパパとママは別のもの。
それでいいではないか・・・
浮気されても愛しているし、浮気しても愛してるのは妻、でもいい。
他人の家のこと、他人が口出しするのはまちがっている。
早く日本もこういうオトナの社会になってほしい。
以前はそうだった、浮気や不倫くらいでガタガタ言ってなかったのに
最近はひどいもんだ。
しかし、多目的トイレで1万円で性行為した渡部はあまりにもセコくて嫌い。
TVで見たくない。
浜田ももっと責められてもいいのに、太っ腹で、女性から恨みをかうようなことはせず
けっこう、可愛がられて愛されて別れてるからか・・・無問題だ。
人間性の問題だな。
不倫さえも、愛される人間性か、冷酷な非情と捉えられるか、
その人の個性なのかもしれないな・・・
