【WiLL 2016年10月号】
「国 連 大学の雅子様の部屋は池 田 大 作 が用意した」<河添恵子>
創 価 学 会の幹部A氏が、青山通りに面した国 連 大学本部ビルの前で上を指さしながら、私にこう語った 。

この最上階に雅子様の執務室がある。
裏側に専用エレベーターがあって、誰にも会うことなく部屋まで行かれる。
雅子様は毎日のように、こちらに通われている。
「雅子様の執務室を誰が用意したのか知っている?池 田 大 作 先生だよ」
小和田家、東宮が国連や創 価 学 会に近いことは、客観的な報道等からも徐々に知るようになっていった。
民進党(現 立憲民主党)の辻元清美議員が、「最近、よく浩宮さんと会って話をする機会があるんだ」と、弾む声で語っていた。
注) 辻元氏は著書で皇室について
「生理的にいやだと思わない? ああいう人達というか、ああいうシステム、ああいう一族がいる近くで空気を吸いたくない」
「天皇っていうのも、日本がいやだというひとつの理由でしょ」と記していた。
さらに日本のスポーツ界と関連させて「人生訓とか道徳を押しつけたがる。
天皇とあの一族の気持ち悪さに直結している」とし、天皇制を「悪の根源」とまで断じていた反日左翼政治家。
『週刊文春』2005年12月29日号
「しかし雅子さまが宮中の祭祀にあまり参加されなくなった頃、ある職員が心配して皇太子にこのままでいいのかと尋ねたそうです。
皇太子のご返事は "参加しなくていいよー" でした。
その職員は "そう言われちゃったらしようがないよ" と周囲に漏らしていた」
『週刊朝日』平成20年8月1日号
「なぜこんなことに……」
思わず出たため息とともに、宮内庁幹部にこんな思いが頭をよぎった。
「これでは、皇太子さまが"学 会の広告塔になった" など皇室と創 価 学 会の距離を誤解されなければいいが……」
ブラジル SG I(創 価 学 会 インタナショナル)の青年部約500人が演奏と演技を披露した式典に、皇太子さまと池 田 SG I会長の名代として池 田 博 正副会長が出席した。
聖 教新聞2008年7月1日号の一面全面にて大々的に報道された。
「着袴の儀」は、天皇皇后両陛下から贈られた童形服(内親王の場合は小袖と袴と袿)を着るのが皇室の伝統。
でも、ナルマサがアイちゃんに着せたのが、発光イエローと蛍光色ピンクのどこの民族衣装かわからぬ衣装。
2006年11月7日のリハーサルでは天皇陛下が贈られた童形服の画像が一応あるけど、なぜか11月11日の本番当日には謎のピンク道中着の画像しかない。
【2007年4月1日「山陽新聞」】
「(童形服姿の)本番の写真はありません。通常は、記事と同じ日の写真を使うのですが、記事の内容に合う正装姿ということで、朝刊では四日前(予行演習の童形服)の写真を掲載しました。」
缶切りは、マサのご婚約会見用に、発光イエロースーツと発光ピンクスーツの2着を作らせて、出来上がったモノを見てイエロースーツにさせたという記事をむかーし見た事あったけど、黄色とピンクが缶切りの推し色なのかな?
内閣連中は何もかも知ってるだろうね
自民推薦の三重県知事経由で悠仁さまがじゅうぶん天皇を担える子であるとも伝わってるだろう
あとは今上一家をどう「ソフトランディングさせるか」
あまりに醜態が知れ渡ったら皇族排斥にも繋がりかねないから難しいんだと思うよ
少なくとも宮内庁には手を入れて欲しいな
雅子はハーバードではなくラドクリフw
まさこは女子大経由で吸収合併したハバド卒。
卒業論文は日本の名立たる経済学者3人に依頼して作成。
女子大はマイノリティ枠(有色人種枠)で入学。
語学だって最低級にいた出来の悪いまさこがハバドに入学したと聞いた
高校の担任は「まさかあのまさこがぁ??」と驚いた。
日本の高校も中途半端な時期に転向(素行不良で放校か)
妊娠中絶で中退してアメリカへ学歴ロンダリング
(ノダセイコと同じ手法)
野田聖子はイジメで放校になっている
東大信奉の強い小和田一族。
編入ではなくAOで1年~学士入学したが(勉強はちんぷんかんぷん)
面接で「ハバド卒」を強調しただけ。
結局一単位も取得出来ず1年満たずに退学。
「運転免許証」が取得出来ただけ。
落ちこぼれをコネ採用した外務省。
オクスフオードに研修に行かせたが、一人だけ落第。
前代未聞の落第生だった。
高校~ずっと落ちこぼれが続いた。
証書もなしに帰国し、半導体交渉通訳を任せたが当然使い物にならず
泣いて帰って来た。その後はコピー取専門職。
今の時期に嫌でも思い出すのは
「栃木県雪崩事件」
2017年3月27日、高校生8名が巻き込まれ死亡の大惨事が起きた。
当日皇太子夫婦は+愛子さんは毎年体調絶好調で、欠かす事のない
栃木の隣、奥志賀中国人ホテル貸旅行真っ最中だった。
事件を受けコメント出すでもなく、ひたすらお楽しみを続けた。
非道なふるまいでした。
帰途後、「いい雪でした」と発表、耳を疑った。