・以前から天皇陛下や雅子さまと関係が近かったのが、高円宮妃久子さまだ。
・高円宮ご夫妻は、陛下と雅子さまのキューピッド役でもありました。
久子妃は元外務省の通訳をしていた。
一時、恒久子と名乗っていた=外務省で小和田恒と懇意(???不倫??)
高円宮殿下と外務省で出会った。
(小和田恒が後押ししていた?)
出向していた、外務省で仕事していた、高円宮はその後、カナダ大使館で急死している。
(どこまでも外務省や外国に絡んでいて、暗殺との噂も)
(高円宮は3人の娘がいたが、男系男子の継承を望んでいて、
久子妃の女性宮家への希望に反していた)
(もし心筋梗塞なら、その前に薬物の投与にも久子妃は関係できる
それで脅されていて、雅子妃に加担して衣装ブッキングにも関与)
(衣装は上の地位の妃から決める、なぜか紀子様の衣装を雅子妃が事前に知り、衣装被りして紀子様が困惑することが多々あった。
久子妃が雅子妃へ教えてる、との噂も)
(タカマド3姉妹はタカマド殿下に似ていない、むしろ小和田恒に??)
(姉妹の誰かは小和田恒の子ではないか)
(高円宮殿下が、小和田恒と久子妃の仲を疑った、事実を掴んだ)
(小和田寄りに動く久子妃を咎めた)
(女系に反論する高円宮殿下を邪魔に思った小和田家の陰謀)
三笠宮殿下がその仕事ぶりを評価してた(未確認情報・よくある理由付け、格付け)
高円宮は英語でプロポーズしている。
久子妃は婚約者がいたが、破棄して高円宮殿下と成婚している。
※( )内はネット情報で、憶測で未確認の噂です。
サンデー毎日1993年1月24日号
皇太子さまと小和田雅子さんを結びつけた?キューピッド?は、実は高円宮憲仁殿下だった―と明かす皇室関係者は少なくない。
高円宮さまは三笠宮崇仁さまの三男で、現在、国際交流基金に勤務する?サラリーマン皇族?。
(略)
キューピッド説の根拠は、皇太子さまがネパールなど三カ国旅行から帰国後の1987年4月25日、
高円宮ご夫妻がお二人を自邸に招き、ホームパーティを開いたことにある。
高円宮さまは、「殿下にご旅行の話を聞こうとお招きし、小和田さんは有望な女性外交官でもあり、話題も合うと思って、一度ご一緒の機会を作りました」と
明かされる。が、宮家関係者によると、ご夫妻が雅子さんを宮邸に招き、そこへ皇太子さまが訪問されるという形をとったが、
実際は皇太子さまが一足早く着き、雅子さんを出迎えられ、雅子さんは驚いた様子だったという。
四人は夕食をともにし、食後、皇太子さまは数日前から用意し、宮邸に持参された三カ国旅行や留学時のアルバムを見せて、思い出などを語られた。
その際、皇太子さまは主に高円宮さまと話されたため、宮妃の久子さまが雅子さんの相手を務める形になったが、
雅子さんが自分の将来や外交官としての抱負などをハキハキと答えるのを見て、
英国留学で現地の学生が自分の意見をはっきり主張している点に感銘を受けていた皇太子さまが、雅子さんに強い印象を持たれたという。
「実は、久子さまが雅子さんの母親と旧知の間柄で、娘が女性外交官を目指しているのを知り、一度ぜひ、皇太子さまに紹介したいと思われていたようです」(宮家関係者)
この日は話がはずみ、雅子さんが帰宅したのは午前一時を過ぎていたともいう。
だが、高円宮さまとお二人の間柄は、実はもっと古くからだったのである。
「お二人の出会いは86年10月、東宮御所で開かれたスペインのエレナ王女の歓迎レセプションですが、
当時、東大の学生だった雅子さんを招いたのは、実は高円宮さまだったのです」
こう明かすのは、ある皇室関係者。さらにこう続ける。
「雅子さんが選ばれたのは、父親が外務省高官で、ご本人も外交官志望ということはもちろんですが、高円宮さまが雅子さんを大変評価されていて、
『小和田さんという素晴らしい女性が外務省に入る』と前から気にかけていらしたからだそうです。
何しろ、高円宮さまは国際交流基金に勤務され、外務省との関係も深いし、海外留学経験もあるし、久子さまはケンブリッジ大学のガ-トンカレッジを卒業、
翻訳家として活躍され、殿下に英語でプロポーズされたほどの国際派ですからね」
また、別の皇室関係者も、「皇太子さまは最も年齢が近く、国際感覚に富んだ高円宮ご夫妻を信頼され、
いろいろご相談されていたようです。そのお言葉は強い影響力があったと思いますよ」と話す。
高円宮さま自身、「小和田さんほど皇太子妃にピッタリの素敵な女性はいないんじゃないか」と度々、漏らされている。
※憶測です。
なにもわかってはいないけれど、紀子様に対する衣装被りの多さに疑問を持ち、下位の高円宮妃なら、それができること(雅子妃に教える)
(大奥の中で起きたことなので、紀子様もおっしゃれないこと、だれもわからないこと。
ただ、紀子様が困ることになり、恥をかかされた雅子妃が同情されることを画策する目的)
(当日に紀子様の衣装と同じものを雅子妃が着ていて、居心地悪いこと)
(まるで紀子様が意地悪したように見せる)
しかし現実は雅子妃が意地悪い表情でこれ見よがしに着ていて、紀子様は小さくなって困っていらして
どっちが意地悪をしているのか、丸わかり)
(なぜ、誰がなんの目的で衣装被りを紀子様にしているのか、最初はわからなかった)
(久子妃は雅子妃から衣装被りされることは全くなかった)
その久子妃と雅子妃の合作の衣装ブッキングは、、、女性宮家、女帝へと合流していく。
その後、悠仁親王殿下をご出産なさる紀子様への辛いイジメは眞子様へ向けられ、今は進学に絡む悠仁親王殿下へ向けられている)
(愛子さんの進学問題はなんの報道も誹謗中傷も無かった)
また、高円宮家の長女、継子(なぜか長女なのに継承すると宣言?)は日本ユニセフに就職。
ここには評議員で小和田優美子(雅子妃の実母)がいる。
日本ユニセフは黒柳徹子のユニセフとは全くの別物で、寄付金から給料ももらい、豪華施設も持つ、寄付団体とは思えないやりたい放題。
(それは社会保険庁のやりかたそのもの。保険料で給料や退職金も払い、年金を食いつぶした)
黒柳徹子は「私は年に1ドルの給料をもらってほとんどボランティアの活動をしています」
久子妃の行動は小和田家の目的に沿っている、と私は思う。
最初から雅子妃を入内するために、先に入内したか、小和田恒の野望で、小和田の血を皇統に入れたかったが失敗して我が娘を仕立てあげて入内させ、自分の血統を皇統譜に残したかった。
それは中韓の思惑(皇室破壊、解体、乗っ取り)と同一であった。
女性宮家も女帝も悠仁親王殿下の誕生で潰えた、紀子様の快挙である。
皇祖霊のお力添えもあり、秋篠宮殿下、川嶋家へ皇統は移ることになった。
努力され、忍耐され、勤勉に公務し、国民に沿うのは紀子様の方だという、御印があった。
疑問符の多い高円宮妃、雅子妃の行状の悪さに、皇祖霊はNO!!!と突きつけ、男児誕生は無かった。
いずれの宮家も、小和田家も断絶していく。
(愛子さんの自閉症は雅子妃の妹、礼子さんの子息も同様らしく、自閉症。
紀子様のお子様はみな健常、自閉症は小和田家由来だとわかる。
紀子様の弟の娘さんも健常で優秀らしい))
皇祖霊というもの、天の声というもの、先祖のこと、信じられないかもしれないが。
見たことはないが、そういうものが2700年とも言われる皇室の存続につながっていて、支えていたのだと。
眼に見えなくても、祭祀や供養や祈りを捧げた人だけが救われるという、この事実。
皇室と言うと、どうしても老人が崇拝する古いもの、という認識があるが、
事実、老齢になっても元気な人・・・早世していない、長生きした人が皇室を敬い、尊攘した人だけが老人になっているからではないか、との憶測。
皇祖霊が日本人を守り、日本人が皇室を尊敬する、その在り方が美しいのはないかと思われる。
それが外務省という舞台で、華々しい海外での活躍や外国崇拝が、皇祖霊の存在を軽視したか、無視して個人的な思想で皇室を我が物にしようとした勢力を、皇祖霊の合法なやり方で排除していくという。
日本人的な!穏便にて毅然とした手法で、皇統を繋いでいった賜物ではないだろうか。
上皇陛下の生前退位も、徳仁と雅子を天皇皇后にして喜ばせておいて、実は次は秋篠宮殿下、悠仁親王殿下であるという歴然とした事実を認証するためのものであったこと。
敵をこらしめるにはこれ以上、無い。
長年の継承問題を解消し、正しい皇統を示したもの。
愛子にはなんの継承権もないことを内外に知らしめたこと。
皇室は意外にしぶとく、賢明で、正しいやり方で存続していくという。
祭祀をなさった者、勤勉な者たちだけが恩恵を受け、選ばれていくという。
正しい在り方は日本人は心して考えていったらいいと思う。
※( )内は憶測と想像とネット情報ですので、未確認です