実家でひとり暮らし奮闘中の83歳の父。


週に1〜2回くらい、電話してきて、
近況報告をし合ってますスマホ


父は、65歳の時に、
長年続けてきた家業をたたみました。
時代の流れに押されて、やむを得ずたたんだようなカタチでした。



それからは趣味の郷土史を究めることに生き甲斐を感じて、
歴史探訪の旅をしたり、
時には講演会の講師を務めたりして、
まあまあ忙しく暮らして来ました。


4年前の夏に、
母がおかしくなるまでは…



きっと認知症の初期症状が出ていたであろう母に、
全く気付かずにノンキに一緒に暮らしてた父にとっては、まさに青天の霹靂雷



「なんだか、急に母ちゃんがおかしくなった!」


あの頃、そんなふうに言ってましたから。


認知症は、急に進むものではないから、
ただただ兆候に気づかなかっただけだと思います。



そんな父が、良く言うこと。

「俺は、居なくなってからも名前が残るようなことをしたい」


今でも、講演会で講師を務めた際には、
地元の新聞に取り上げてもらって、
顔写真付きで記事が掲載されてます。


それが、今の父にとっては、
ステイタスであり、存在意義みたいなものになってるんだと思います。



これは、誰でも考えること?

私は、自分が居なくなってから何かしら名前を残したいなんて、考えたことないんだけどガーン



確かに、芸能人や政治家やスポーツ選手なんかは、
亡くなった後もテレビで生前の映像が流れたり、
人によっては、表彰されたり、勲章を授与されたりしますけどね。


父は、ああいうのが羨ましいのかな?



ネットで人名検索したら、
一番上に出て来るような人になりたい?



野望を持って、
元気に生きてくれるのはけっこうですけどね。


最近は、

「講演会の原稿を書くと、胃が痛い」

なんて言い始めたから、
ほどほどにしていただきたいものですもやもや


いくら頼んでも、母の面会にはひとりでは行かない父なんですけどね。


困ったものですねおじいちゃん