ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜
太宰治生誕100周年という事で製作された
『ヴィヨンの妻 ~桜桃とタンポポ~』観てきました。
原作『ヴィヨンの妻』をベースに
様々な作品の内容を組み込んだものとなっている作品。
全体的に原作とは違い、少し暗いイメージで物語は展開。
その中に”クスッ”となるようなシーンもいくつかあったが、
そのシーンで思いきり笑ってる女の子が何人か映画館に。
「どこがそれほどおかしいのだろう?」と考えてしまったため
途中、作品に集中出来ず。
映画そのものは、それほど難解さはなく
気軽に楽しめる内容になっている。
大谷と佐知との出会いのエピソードや、
弁護士の辻は、原作には無いので
この映画用に作られたものなのだろう。
そしておそらく、この出会いの部分に
制作者のメッセージが
織り込まれていたように感じた。
そしてそれがエンディングに繋がっている。
ただもったいないのは、
その部分が上手くいきていなかった。
原作に
「十日、二十日とお店にかよっているうちに、私には、椿屋にお酒を飲みに来ているお客さんがひとり残らず犯罪人ばかりだという事に、気がついてまいりました。夫などはまだまだ、優しいほうだと思うようになりました。また、お店のお客さんばかりでなく、路を歩いている人みなが、何か必ずうしろ暗い罪をかくしているように思われて来ました。」
という部分があるが、
この時代観を、もっと描いた方が良かったように思う。
それによって出会いのエピソードが効いてきたのでは?
『ヴィヨンの妻 ~桜桃とタンポポ~』観てきました。
原作『ヴィヨンの妻』をベースに
様々な作品の内容を組み込んだものとなっている作品。
全体的に原作とは違い、少し暗いイメージで物語は展開。
その中に”クスッ”となるようなシーンもいくつかあったが、
そのシーンで思いきり笑ってる女の子が何人か映画館に。
「どこがそれほどおかしいのだろう?」と考えてしまったため
途中、作品に集中出来ず。
映画そのものは、それほど難解さはなく
気軽に楽しめる内容になっている。
大谷と佐知との出会いのエピソードや、
弁護士の辻は、原作には無いので
この映画用に作られたものなのだろう。
そしておそらく、この出会いの部分に
制作者のメッセージが
織り込まれていたように感じた。
そしてそれがエンディングに繋がっている。
ただもったいないのは、
その部分が上手くいきていなかった。
原作に
「十日、二十日とお店にかよっているうちに、私には、椿屋にお酒を飲みに来ているお客さんがひとり残らず犯罪人ばかりだという事に、気がついてまいりました。夫などはまだまだ、優しいほうだと思うようになりました。また、お店のお客さんばかりでなく、路を歩いている人みなが、何か必ずうしろ暗い罪をかくしているように思われて来ました。」
という部分があるが、
この時代観を、もっと描いた方が良かったように思う。
それによって出会いのエピソードが効いてきたのでは?