クロちゃん2024年2月18日(日)午前4時5分

虹の橋に旅立ちました。


2023年の3月頃心筋症と発覚し、5、6月が危ないと言われながら、おりこうさんに胸水を抜き続け、途中からは酸素室での生活に文句も言わず、約一年間の闘病生活を終えました。



クロちゃんは母のことが大好きで、母にかまってもらったり、母が暮らしている様子を見るのが幸せそうでした。

つらい酸素室の生活に耐えられたのは、母への愛情が大きかったと思います。


クロちゃんが亡くなったのは深夜でしたが、偶然私が直前に目を覚まして、みんなを起こしていたため、家族全員に見送られての最期でした。



最後の3日間くらいは、私がつらすぎて記憶が曖昧な部分もありますが、ごはんを食べなくなり、お水を飲むと吐いてしまうクロちゃんをただ見ていることしかできませんでした。



17日の夜頃からクロちゃんの下半身が麻痺して、それがクロちゃんには意味がわからなかったのか、悔しかったのか、体を動かそうとして大きな声で鳴きました。

その度に、体の向きを変えてあげて、足を整えてあげました。

そして、たまに酸素室から出して母に抱っこしてもらいました。

クロちゃんは母に抱っこされると本当に満足そうでした。



クロちゃんは影虎、サバ、みそに、ひとりの世代と、ポポ、トト、まだら丸、はなにの世代のちょうど中間に、野良だった花ちゃんが連れてきた子です。

私が欲しがっていた黒猫で、小さくてとても可愛らしかったため、すぐ大好きになりました。

しかし、一瞬花ちゃんが連れてこなくなったときがあり、そのときは心底心配して、

「次にうちに来たら、絶対にうちの子にしよう」

と心に決めて、我が家の猫になりました。


幼い頃は、よく「クロちゃんめし」と呼んだ猫ごはんをいっぱい食べさせて、大きく育てました。



酸素室に入るまではずっと猫たちが暮らす部屋で暮らしていましたが、優しい性格で、寝床を他の猫に譲ったり、体が大きいからケンカすれば負けないのに、本当に穏やかでおりこうさんだなぁといつも感心しつつ、心配な親心でした。



心筋症は母が発見しました。

いつものようにお気に入りの階段の踊り場で遊んでいるときに、お腹の動きがおかしいと言って、私も「これは呼吸が変だ」と感じ、病院に連れて行きました。

あまり長くないと言われました。


しかし、病院の先生やスタッフさんたちが胸水抜きをがんばってくださり、何よりクロちゃんがおとなしく施術させてくれたことで、一年間も長生きすることができました。


もちろん、父や母、僭越ながら私も一生懸命やりました。



クロちゃんがいなくなって、4年前のミケや、2023年11月22日の花ちゃんが亡くなって、うちのリビングから猫がいなくなりました。

心の傷は深く、ペットロスは癒えません。


しかし、うちにはまだ花ちゃんの子供たち6匹が暮らしています。

影虎、サバ、みそに、ポポ、トト、まだら丸…

この子たちのためにも、泣いて倒れ伏しているだけではいけないなと思います。


でも、もう少しだけ、クロちゃんを想って、じんわりしていたいです。



クロちゃんを応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。

クロちゃんは幸せな猫生を送りました。

応援して、祈ってくださった皆様のおかげです。

うちにはまだまだ猫たちがおりますので、その子たちも引き続き応援よろしくお願いします。



クロちゃん大好き

私の憧れの黒猫

想像以上の美しさ

想像以上の優しさ

一生忘れない

その黒くしなやかな姿

一生の宝物