さてピタゴラスの経済学の意味は誰でも理解し確実な経済原理を組み合わせ経済の森羅万象を理解し、どうすれば国が良くなるかを理解することです。

まず、最初に理解し覚えて欲しい経済原理は以下の3つです。

これさえ理解し覚えれば経済の半分は理解したと言ってもいいと思います。逆に言えばこの原理と違うことを言っている政策は、どんなに高尚な理論や高等数学を用いていても胡散臭い、あるいは国民をごまかしていると言ってもいいと思います。

 

 

  最初に理解すべき経済原理は以下の3つです。そしてこれが非常に大事です。

 

①貸借は均衡する。お金の総和はゼロ  債務の総額=債権の総額(紙幣は貸し借りの記しであるからそれも含む)

➁労務の提供の総量=労務の享受の総量

③実資本の蓄積=富の源泉

 

まず、①貸借は均衡する。お金の総和はゼロですが、早い話誰かの借金は誰かの債権です。日本の場合紙幣はどこが発行しているのでしょうか?日本銀行ですね。最初に政府が10億円分の国債を発行するとします。その国債を市中銀行が10億円で購入します。(=政府は日銀の当座預金で10億円借りる)日銀が日銀券(紙幣)を発行し市中銀行が買った国債を買い取ります。(=日銀の当座預金で10億円決済する)。

 

今の時点で10億円は政府にあります。(政府の日銀の当座預金に)、政府は10億円を公共工事等々で支出します。それを受け取った国民は、その10億円を市中銀行に預金します。この時点での貸借は、政府は10億円の借金があり、国民は10億円の預金があり、市中銀行はプラスマイナスゼロ、日銀も資産に10億円の国債、負債に紙幣発行分10億円が計上されプラスマイナスゼロです。よって全員がお金を返したら紙幣は消えてなくなります。国が国民から10億円を税金で聴取したら国にお借金もなくなるし国民の預金もなくなり、日銀も市中銀行もお金がすべて消えてなくなります。実際にはこのようなことは起こりませんが・・。では、国民や銀行が複雑な高等数学を駆使した金融工学を用いた金融デリバティブの商品で運用したとします。

 

A氏B氏C氏の利益が、複雑奇々怪々な数式によって導き出された答えXとすれば、それと対をなすD氏E氏F氏の複雑奇々怪々な数式によって導き出された答えX同額が損失となります。

利息も同じです、利息で増えた金額がそっくり同額誰かのマイナスになります。お金の総和がゼロならいったい誰が利息を支払うのでしょうか?通常はインフレが常態であり、世界の経済規模が成長しているので支払えるということになります。

 

例外としてプラスマイナスにならない紙幣もあります。例えば政府が発行する政府紙幣です。これは、借金にはなりません。(日本は明治以降発行していない。米国は戦後ケネディー大統領の時に発行している)

 

これは、国が国民に貸し借りの記帳の道具を渡しているに過ぎなとも言えるので、総和から除外出来るといえます。国と国民の借金の考え方は一緒ではありません。唯一国ができる特権です。例えて言うなら、カジノで予めチップをお客全員に百枚わたして、最後に精算するときに、チップ百枚を基準に損得を計算するようなものです。百枚はプラスマイナスゼロと同じ。最初に百枚チップ分配って、途中から千枚にしても一緒です。今度はプラスマイナスゼロの基点が百枚分から千枚に変わるだけです。

 

 

次に労務の提供の総量=労務の享受の総量について説明します。

これは、労働によって生じた価値の提供と享受も含みます。提供する人と享受する人が表裏一体となって初めて完結するので、当然イコールになります。授受があって初めて成立します。大根を沢山作りました。買う人がいて初めて経済は成立します。大根を作っても売る前に腐ったら価値を生み出したことになりません。もっと言えば、大根を食べて初めて価値は成就します。

 

さて、ここからが重要です。労務の提供の総量=労務の享受の総量です。労務の提供をするのは生産者がいて成り立ちます。非生産者は労務の提供者でないので、生産者と非生産者の割合が重要です。経済は瞬時、瞬時の提供と享受の総量で成り立っています。その積み重ねで経済は循環してます。お金の総和はゼロですので、どんな時も常にプラスマイナスゼロです。全体としては経済の豊かさとはなんお関係ありません。(個人ごとは別だし、海外と比較する場合は別に考える必要がありますが、地球規模で考えれば同じです)。全体では常にゼロ円です。全体としてはいつの時点でも、お金に関しては富もなければ借金もありません。国全体としてはいつの時点でも富も借金もありません。ですから、今日本の国は、現役の世代が借金をして将来子供たちが借金を返済することになる負の遺産を残すことになるというのはおかしなことです。(まったく影に躍らされているにすぎません。➁の労務の提供の総量=労務の享受の総量 生産者と非生産の割合③実資本の量と質が重要で➁を適正にして③を充実させることは重要です)

全体としては常にゼロなので、富も借金もないし、胴元である国とプレーヤの個人の借金を同じ視点で話しても意味がありません。生産者と非生産者がいて、労務の提供の総量=労務の享受の総量の積み重ねで経済が成り立っているのです。価値の提供と享受が実態です。それ以外は架空であり、仮想、想定、約束の類です。価値が確定するか誰もわかりません)

意味のない労働をしても価値は生み出さないので享受もできません。

例えば現在生産者が50%で非生産者が50%とします。国が何の有効な政策もうち出さず、20年後生産者が20%、非生産者が80%、借金が現在の1,000兆円から300兆円に減ったとしても何の意味がありますか?国民の資産が現在の1,900兆円から600兆円ぐらいになっているかもしれません。借金が減って何の意味がありますか?

これこそ将来に負の遺産を残すということです。

逆に国の借金が2,000兆円になって、国民の資産は4,000兆円、生産者が50%→60%、非生産者が50%→40%になれば、国は豊かになってます。国の借金はまったく考える基準ではないのです。どのみち総和ではゼロ円なんだし、国は胴元で仕組みを提供しているだけなので、借金は個人や民間の借金とは意味合いが違います。国の構造がどうなるかが重要です。

さて次に三つ目の③実資本の蓄積=富の源泉についてです。はお金の総和はゼロだから、国はよりをより重視し、を良くするためにをどうするかを考えるべきです。はゼロサムは労務の提供の総量=労務の享受の総量で、その積み重ねが経済を形作っている。その授受のみの積み重ねが表出する経済の実態で、授受があり始めて真の価値が完結する。大根で言えば作っているだけではだめで、必要な人に渡って初めて価値が生じ、もっと言えばその人が食べて初めて真の価値が完結するということになります。それまでは、買って大根が腐っては真の価値は完結しないのです。もっと言えばおいしく満足を味わい、栄養もあればもっと高い価値が完結することになります。

では③はなんなのでしょうか?③実資本の蓄積=富の源泉、道路や建物、機械、知識、システム、様々なインフラ、高い知識や技術を持った労働力、などお金以外の資本です。これらが、富を生み出す源泉です。国は適切なと高度なの蓄積を目指すべきで、を重視し消費税増税などして決して均衡財政を目指すものではないのです。

 

では、日本の過去の何がいけなかったのでしょうか?1990年のバブル崩壊まで日本でとんでもないバブルがありました。東京23区の土地で米国全ての土地が買えるくらい地価が高騰し、やがてはじけた。その時うまく売り抜けたものと、多額の借金を抱えたものが発生し、国は、不良債権処理のため、後ろ向き後ろ向きの財政で借金が増えた。バブルの後遺症で、不良債券処理をせざるを得なかった。手当をしなければ、もっと悲惨なことになっていた。過去の問題を処理するためやらざるを得なかった。しかしその時点で富の偏在はおきていた。ただ市場ルールに従って得た利益を政府は返しなさいとは言えない。だから偏在した富はそのままで、敗者救済をせざるを得なかった。常に後ろ向きだから景気は中々良くならない。国の借金だけが増えていく。市場ルールに従って得た利益を例えギャンブル紛いの泡銭であっても取り上げる訳にはいかないからです。つまりまで手が回らなかったのです。