遙か昔 我々は永遠の海であった

それは 光であり愛の海 

時間 意識 思考という概念は存在しなかった

静謐で平穏で ただ ただ 何もない 

ただ ただ 在るという存在であった


いつしか 我々は 己自身の水面に映る煌めきを見た

それを見た瞬間 意識が生まれ 時間が生まれた


その後 短時間で我々は分割していった

そうして いつしか それらに思考が生まれ 人間という生命体が
誕生した


人間は 我々の外側に世界を創った

そして 我々は 当初 世界を内側から観察する者であった

しかし いつからか 我々さえも人間となり 内側にある世界のことも
元は一つであったことも 忘れてしまっていた


最初は 忘れていることを記憶していたが そのうちに 
忘れているということさえも 忘れてしまっていた

そうして 我々は 幻想である 人間世界で幾多の時を過ごしたのだ

自我という存在を創り出し 我々は より 幻想世界を現実世界だと
認識するようになっていた


しかしながら 永い年月をかけ 少数の人間が幻想世界に疑問を抱き始めた

亀裂は少しづつ広がり 自分と信じて疑わなかった自我という存在が自分ではないという
ことに気づき始める


目覚めた者は 自我を消すことを目指すようになるのだが

いつしか 消していた自我さえ消えてしまうと 一体何を消していたのかさえ
分からなくなっていた


求めるものは どこにもなく ただ ただ 忘れてゆくことで 思い出すのだと知る


忘れることで 思い出す


思い出すことで 忘れる


逆説的に生きることで 幻想から抜け出せることを知る


否定するものは 存在せず 苦しめるものも 幸せだと感じていたものも
最初から 存在すらしていなかったのだと知る


それら全ては 愛の海が見ていた 夢だと知る


全ては美しく儚い夢だと知る


今 我々は 永らく続いた輪廻を超え  夢から目覚めようとしている


回帰の時が やってきたのだ


永遠の海 愛の海 源への回帰 


私はあなたで あなたは私であったのだ






世界は己の意識でしかなく 他者は心の反映にもかかわらず
どうして 全てを肯定するという単純な作業が 今までできなかったのか

自我を見つめて生活してゆく中で 自我の勢力が弱まり 隙間ができると
そう感じられてくるようになった


どんなことも全て過去なのです

今という瞬間を生きるには 肯定しかないのです

否定をしない どんなことにも否定をしない

毎日 それに挑戦してきました

すると 世界がどんどん変わります

本当に 本当に 世界が変わりました



どんなことも肯定する


今日が土曜で 金曜だと言われても そうですね! そう答える

記憶とは違う話をされたとしても そうですね!と思う

逆に否定したい 訂正したい時があるのなら なぜそうするのか自我を見つめる

そこには 恐れしかありません



監視カメラのように ずっと ずっと 瞬間 自我を見つめる

外を見る暇はありません

外は結果ですから

誰かが あなたを否定したと感じる時は あなたが自分を否定している感情に
気づく時です

誰かを 注意したくなった時は あなたに注意するところがあるということです


世界は 己の意識であり 過去です

その法則を完全に理解すること以外 することはありません


そんなの知っていると思っている傲慢な思考に気づいてください

知っているは 理解していません

知っているというだけで やらないのです


自我は そうやって生きていました 知識 常識 概念をごみのように増やして
強くなったのです


私自身 今も 残っているミニ自我さんを 浄化する毎日です


どんなに不条理だと思えることを言われても 否定しない


否定しないという新しい挑戦をする時 世界は また一つ変わります


内側をある程度 見られるようになったなら 頭の中の雑音が消えている頃でしょう

悩みもなく静寂を感じているころでしょう

そんなあなたは  次は瞬間への挑戦です


瞬間を生きてみる 


どんなことにも肯定するとは つまり 肯定しかされない世界の創造なのです


それが 本当に どんなことであれ 否定しないのが鍵です


災害にしても報道にしても 今は 浄化 そして 肯定の時なのは一目瞭然です


否定は否定しか生みません

外に向けるエネルギーは 内側のエネルギーを枯渇させます

常に 内側にツイッターしてください


今 こう思ったNOW! 瞬間の感情を見て 自我を見つめる




そして世界を肯定する

することはこれだけですが とても忙しいです


世界を受け入れた時 世界に受け入れられる


それは心を受け入れるということでしょう

受け入れる心で 愛という字になりますね


受け入れた時 愛に包まれるのではないでしょうか

本当の自分 愛の海に・・・


それは 常に今も 過去も 内側に在る海 
今まで 紗鳥の思考世界に おつきあいいただき
ありがとうございました(^_^)

皆様も ご自身を信じて 迷わず進んでください

全ては シナリオ通りに順調です

私も あなたも 皆 一つの意識です



美しき緑の星

とても素敵な映画です


ぜひ ご覧になってください

https://vimeo.com/129957744
今回が 本当に最後になりそうかな・・・

もう自我が ほとんど消え もう書くという意味も消えています

2015年6月22日
エヴァンゲリオンにシンジが初めて搭乗した日を境に
現実の方でも使徒がどんどん内側にせめてきておりました

エヴァは知恵の実から誕生した自我の象徴
使徒は生命の実から誕生した天使であり真我

ゲンドウさんの名台詞 よい 全てはシナリオ通りという言葉と同じく

人類補完計画は ちゃくちゃくと進んでおります

私個人は 5月あたりから お掃除マニアになり 今まで 気にもならなかった
細かいところなど とても気になるようになり 6月は 激しい断捨離が始まり
毎朝 目覚めると 昨日まで大事にしていた物が ゴミに思え 棄て
TV 家具 書物 レコード CD ピアノ カメラ 家の中にある あらゆるものが
不快に見えだし 本格的に業者さんに依頼する始末・・・

最初は 己の物だけを棄てていましたが 自我と同じで 家族の物を
今まで 放任していたことに気づき 容赦なく棄てていました

自分とは関係のない物だという認識は 自分とは関係ない意識と同じなのだと


食器や骨董品 陶磁器は 名の知れたものが 沢山ありましたが
それも どうでもよく あほらしく思え 私の目には ごみにしか見えません


家に火をつけても良いくらい もう 物は不要

それは私の意識が ここから引っ越したいのだと思います

青虫がさなぎになるのと同じです


青虫時代に食していたパセリは もう不要なのです

食も物も意識も人も あらゆる概念も 進化したものでないともう不要です

もう数ヶ月前のように正確には6月までのように 我慢したり 合わせたりして
関わることすら不要

これからは 己の意識で生きるのみ 

古いものは 本当に 容赦なくごみみ思えます

感情的な人を見ると 原始人を見ているかのような・・・気持ちになり
スーパーで 大量の食材を購入している人を見ると 千と千尋にでてくる
豚や顔なしに見えたり・・・


自我だらけな人間たちは 醜い獣にしか見えません
それらを どうにかしたいとか言う気持ちもありません


もう 己の内側は 完全に白い為 他者など どうでもよいのです


ここ二週間は 毎日 大型トラックが家にきます

それは もう お引っ越しをするのかと ご近所さんが心配するほど・・・


どんどん棄ててゆくと 自我と物は同じなのだと気づかされます

大事にしている物 意識ほど ごみです
それが 世界を見えなくします

どんどん どんどん 軽くなってゆきます


本物だとか 偽物だとか  くだらないと分かります

どんな思考も意識も どんな素敵だと思うことも そうでないことも
そう思う意識そのものが くだらないということに気づきます


どんどん 人間の醜さがめだちます

どんどん自然 とりわけ緑が美しく見えてきます

くだらない会話 思考 古い価値観  世界のあらゆることが おままごとに思えます

お金も 本当に ただの紙です


ピアノを売った金額が ちょうど車の修理代と同じで
オーディオを売ったお金で車庫修理代やゴミ処理代を支払い・・・

そのように 右から左へ 流しているだけです


今 私と同じように 急速な変化をしている 新人類はいるようで
近頃 一日だけの出逢いでも 対面する機会があります


同じように進化している人よ もう 周りは 気にせず 己だけを見よ

そして 迷わずすすめ


あらゆる概念を棄て 新しい世界を見よ


思い出せ 己が何者であったのかを










7月は ものすごく激しいメリーゴーランドです

内側も外側も浄化 消去が激しすぎて 目が回ります


毎日 あらゆる物を棄てています

今日はピアノを売りました

明日は家にあるオーディオセットを査定人が来て買い取りしてくれます

粗大ゴミセンターには 頻繁に電話をかけ 様々な物を廃棄してもらっています

近所の人が見たら 引っ越しか?と思うほど すごいです

もう どんな物も ゴミにしか見えません


大事だった書物の山も 三島由紀夫でさえ 全て棄てました

レコードやCD とりあえず 自分のは棄てました


自我が消えてゆくほど 物を棄てたくなるのか?

それとも棄てるから自我が消えてゆくのか?

もうわかりません


書籍やレコードは買い取りしても良かったのですが もう とにかく早く棄てたい
ただ それだけで お金も どうでも良くなっています


食事も 減ったので 1月で体重も5キロ 減っていました

体重も軽く 自我 思考も軽く 物も軽く・・・

遺品整理 終活をしているような気もしますが なくなってゆくほど本当に
平和で穏やかで幸せなのです


何を言われても どんなに失礼なことをされても 何も思わないのです


今まで もやもやしていたことも いらいらしていたことも 何もないのです


どんどん自我が消えてゆくほど 本当の自分がつよくなっています


そうなってくると 世界のことがわかってきます

自分が神だということがわかってきます


誰かに光を送るとか 癒すとか 世界を救うとか 


何かしらの能力があるとか そういうのは 全て 的外れだとわかります

そして それらを否定することもなくなります


自我を超えると 創造していない内側の空を感じられます


全て知っているんです 自分は 思い出すだけです

外側にむいている 限り それは理解できません


生活をシンプルにして 呼吸を意識してゆくと 今に存在する意味が
わかるようになります

繰り返し繰り返し自我を見つめていくと 観察者という存在がしっかりと確立されます

そうなってきますと 自我オンリーであった脳内 内側が 相撲のような
状態となります

自我と観察者の相撲が始まるのです

自我オンリーですと 観察者は土俵にあがることもなかった状態と言えますし
土俵の存在すらしらなかったとも言えます


観察者がいるということは 空間ができるということです

自我との空間

そして やっと相撲がとれるのです


過去 自我は 横綱(白鵬さん)のようなイメージですね

実際の現実でも 相撲は いつもエネルギーの流れにそって 行われてきました

昨日から初日ですが マヤ暦でいうところの時空のない日まで試合は続きます

このメッセージにお気づきなら 自我との相撲を強化していこうと思うかもしれませんね


そもそも 自我は あらゆる感情に存在します

大きなものですと 見えやすいのですが  小さな自我も浄化してゆくと だんだん
見えてきます

これは現実のお掃除と似ていますよね

お掃除をしていない家よりも している人 綺麗な家の方が よりお掃除しているという事実

それは小さな汚れが 綺麗で目立つからです

自我を見つめてゆくと 本当に自我は色々と思っていることを知ります
忙しいですし 騒がしいです

一生懸命 何かをした時は誰かに見てほしい 知ってほしい 褒めてほしいと自我は思うかもしれません


自我にとって考える災難が起きたときは 何で私が? 何でこんな目に? ひどい・・・などと
思うかもしれまん

自我にとって 良いことと思えることをしている時は 優越感や満足感など感じているかもしれませんし 逆に良いと思うことを否定された時は なんて失礼な!とか こんなにしてあげたのに・・・など思うかもしれません


自我の最大の特徴は 攻撃をうけたと思った時に すぐに攻撃することです

プライドが傷ついたとか 酷いことを言われたとか そんな時は すかさず相手にとって
何か文句や発言をしたくてたまりません


家族が 電気をすけっぱなしでいた後 注意するのなら それは まず電気がもったいないと
思う自我を見つめること(有限であるということをその思考が電気代を創っている)
そして 注意した時の相手 その相手を攻める(責める)という瞬間 相手は 悪いと思ったり
弱くなったりしますが その弱るという感覚を嬉しく思っている自我がいるのです


えー そんな 自我いない・・・ そう思っているだけで います 実際に自我は不が大好き


年老いた親や 小さな子をお世話している自我は 偉いと思われたいとか いい人と思われたい
逆に何で私が・・・なんて思う人もいるかもしれませんね

身体 金銭 物質 知識 何かしら 他者よりも 自分の方がもっていたいと思う自我は
もっていない人をみると優越感を感じています

どんどん 小さな 小さな自我と観察者の相撲が続いてきますと 観察者の方がいつしか
横綱になってゆきます


何かに対して 発言をしたくなった時 まず 言の葉にする前に 内側の自我を見つめて
みてはいかがでしょうか?
どうして それを言いたいのか? 満足したいから?納得したいから? 否定したいから?
安心したいから? いつもごめんねと言われたいから? ありがとうと言われたいから?

そんな風に 自我を見ていくと 発言が変化します

発言が変化するということは 現実が変化します


我々は 毎日 どれだけ気づく目覚めるかで 意識の螺旋階段を上昇できるかが変わってきます

毎日 同じ思考 行動 意識 感情 それを変えてみてください

自分が正しいという意識 それが 間違っています


身体もあなたではありません 心もあなたではありません 感情も・・・


あなたは あなたを捨て去った時 自分に目覚めるのです


エックハルト ニューアースの朗読ですが 自我超える為の内容で
おすすめです  最初から最後まで 良い朗読ですよ


https://www.youtube.com/watch?v=0vO-eNCLRv4&list=PLx5P79dfRGSE8kdOApjghxR6-F3EycHPV&index=9


毎日 棄てても棄てても いらない物が出てきます
どれだけお掃除しても 気になるところが たくさんあります

この頃 家と家具 まるごと 何もないお部屋と交換してほしい
衝動がやみません・・・ 正直 竜巻がきても 嬉しいと思います

今まで 宝物や財産だと思っていたものが ゴミにしか見えず
本当に違和感しかありません

これは 内側のお掃除とシンクロしています

どんどん綺麗な白になるほど 小さな汚れ(自我)が目立ちます

常に観察者がいる生活にも慣れましたし 24時間 鏡であるという
事実を忘れることもなくなりました

そんな中 昨日 父が 突然 今までの記憶が全て戻って 思い出したよと
謝ってきました

私が 思い出してゆくと 外側の父の記憶も同じで思い出すようです
まぁ鏡なので当たり前だと
思いつつ 認知症も幻想でしかないと 思いつつ・・・少し 驚く自我もいたり・・・


先週は 古い奥にしまってあった自我を見つめて過ごしました

今まで 許せていなかった遠い過去の記憶や 我慢していた感情などを
掘り起こし 納得がいくまで 自我の好きに 発言(独り言ですが)させて
あげましたし ジャンクなカップヌードルなど 食してあげました

自我は満足して 今は もう すっかり 過去のつらいことや記憶も
忘れてくれました

ここ数日は お掃除して物を棄て自我を棄てる中で 身体もいらないと
思うようになりました

実際に 身体があるという概念があるから あるわけで 本当は 光なので
ないと思うと 光になるような・・・

そんな気がしてきたのです

食も不要に思い 物も不要に思い 身体も不要に思い

何もいらないを願う この段階にまできたら 一つに戻れる 心構えができたという
感じもします

目覚めて一人 全てが 夢であったということに 驚かないよう
まるで 今から慣らしているかのような・・・

それとも こうやって 棄ててゆくことが プロセスなような・・・


どちらにしても 古い生き方には 何も魅力を感じない 人間らしくない人間に
なっています


今朝 気づいたのですが 今まで 好きだった お花を見ても猫を見ても 今までとは
違って 冷静に見ていました

好きとか嫌いとか そういう感情が 消えていました


ただ 在るという目線が 初めて実感できました


褒められても 意地悪言われても 同じように 聞くようになりました

何も感じない ただ 在るという生活になってきたように思います

あと ふと思ったのですが


私という言の葉は わたし 渡し
英語では I あい 合い 愛

何となく 愛を渡すと わたしと合体できる 

そんな気がしました


ちなみに 先日 徹子の部屋で ゴルゴさんが 日本語は あいうえお
愛あい から 始まっている

そしてそれは 母音である

最後は おん 恩で終わっているので 愛を恩で返す・・・

そんなことを言われておりました


至る所に メッセージがありますよね





6月に最終浄化が始まり 7月に完全に 世界は二つになった


そう確信していたら 本当に 世界は どんどん変化していて

いなくなる人は いなくなり 自分がありのままでいいのだという

世界がどんどん見えている


鏡世界という事実を より体感している今日この頃です


概念を棄てるという選択をしてゆくと 意識の具現化もより

鮮明に加速し具現化されてゆきます


今は 食事を 一食にして  少しだけの白米とお魚一匹

おからに人参とキュウリを入れたサラダ 青汁1杯なのですが

青汁を 温かい牛乳で飲んでおりましたが 先日 急に 牛乳を

やめて豆乳にしました


すると 次の日 朝の報道にて 学校給食から 牛乳がなくなると

言っておりました


そして 一つ前の手記に 物がいらなくなって 寝床と机くらいで良いと

記載したのですが 今朝 NHKにて ミニマリストという 一切物を置かない

人たちの 特集が放送されていました


すごいことです・・・



菜食→小食→不食  綺麗好き→断捨離→ミニマリスト


世界が どんどん 何もないを楽しむようになってきています!


すごいです!わくわくします!


ギリシャの破綻によって お金に対する価値観も 変わりそうです


もう何もない時代がやってくる


何もないことが素敵な世界 何もない 自我もない 本当の世界


毎日の生活で 少しでも反応していることに気づいたら その自我を

棄てるチャンス! どんどん 棄てて 軽く自由になってゆきたいものです



人間 知識 物質 空間 環境 食事に興味がなくなり

どんどん 軽くて自由になってゆく


食事に関しては とても不思議な感覚を体験しています


とりあえず 家族の食事は作るので 毎日 スーパーにも

行きますが 食材の多さに 驚くようになりましたし


なんだか へんてこな空間に居るような・・・ とても不思議な気持ちになります


大量に食材を購入している人を見ると 少々 気持ち悪くさえなります



家族の食事は三度で 私は とりあえず お昼に スプーン大さじ1の

ご飯と おからサラダ あとはお魚のみです


それだけでも お腹いっぱいです


二週間 この食事にして 4キロ減りました


今まで 如何に 無駄に食していたか・・・


独りでしたら きっと もっと食事をしないでしょう


食事を完全にしなくなると 暇になります


買い物も不要ですし 料理も お片付けも不要です


お金も減りません


二週間 あまり食費代を払っていない気がします


実際 内側が満たされていな人ほど(昔の私もそうでした) 

たくさん食事をしますし 間食もします


しかし 恋をしたり 誰かがなくなったりすると 食事をしないこと

ありますよね


意識なんですよね


自我を棄てて 内側が満たされてゆくと 本当に 満腹感なんですよ


丸一日 食事をしない日も 全然 お腹はすかなくなりました



昔 ヨガをしていて 断食をしていた時は 意識が違ったので辛かったですが

今は 面白いです


自分の概念が崩壊し どんどん進化してゆくのが 楽しいです


今は 食事を アクセサリー程度に考えています


してもいいし しなくてもいい 



人に逢うときは 雰囲気で してもいい・・・ そんな感じです



どっちでもいいという感覚 中庸 ニュートラルが 本来の自分な気がします










6月は これでもかと思うほど 物質を棄て意識を棄てましたが

7月は 白くなった袈裟を より白くするかのように また棄てさせる

出来事が起きています


棄ててゆくほどに 己の進化を感じずにはいられません


以前は アンティークな物や古い電化製品 家具を大切に

思っておりましたが ここ最近は なんて 邪魔なんだろうとか・・・


正直 何もいりません


家の中のものを 椅子と机と寝床以外は いらないと 心から思えます


お掃除も 見えない所 隅々 綺麗にしたくてなりません


人間に対しても 同様で 以前は 知性溢れる人が好きでしたが

逆に 今は 知性が 如何に 自我をつよくしているのか 知ってしまったので

そういう人を見ると 何とも不思議な気持ちです


持っている人を見て かわいそうに思えるようになりました

この かわいそうという言の葉も 特に感情はありません

卑下している訳でもなく ただ その状態を 在るとして 

見ているにすぎません



知性 感情 キャリアや名声 お金 高価な物 多くの友人やら家族

持つほどに 夢の世界を彷徨うという事実・・・


ここ最近は身体と意識が如何に 直結しているのか 実感しています


内側が 空である状態が続くにつれ 外在世界のあらゆる物事が

絵空事に思えます


幼き時代に おままごとで 食事をしたり お医者さんごっこをしたり

あの 感覚と似ています


身体の中が 食も意識も 空である方が 平穏で幸福だということに

驚きます


しかしながら 昨日 これでもかと思えるような試練 困惑する出来事に

意識が流され イライラを内側で感じてしまいました

その後 自分の内側に どよめく煙を しっかりと確認しました

そして 無意識的に 動作が荒くなるのも 目視しました

感情が表面化した時 何となく アイスを食したくなりました

そして 感情のまま アイスを購入し お腹に入れましたが

その後 イライラは 少し続きました


身体と自我 意識が 直結されているのを 実感した瞬間でも

ありました


近年においても 人間の意識進化はすごかったです


少し前は 電車で喫煙もしていましたし 飲酒運転やポイ捨ても当たり前でした


お買い物は 昔は 個人商店 その後 スーパーや大型モール 今では

ネット クリックで家までお届けですよ


ネットなんて 意識が繋がる訓練としか思えませんよ


あぁ これ欲しい クリック お届けですよ


アンドロイドやドローン アイパッドなんかも すごいです


20年前の人が見たら SFですよね


大昔からすると 歩いて旅行をしていたのが 新幹線 モノレール

飛行機で 時間は 短縮されています


そう考えると 近未来 瞬間で移動なんていうことは 同じように可能なのでは・・・

と思えます


今 人間は 確実に 二つの人種が存在しています


未だに 過去と同じ意識で 生きている人と

自我を棄て 進化の道を歩む人と


間違いなく 進化を選んだ人は 己の神を目覚めさせる道を

歩んでいるのですが  意識 肉体 どこまでも 身魂磨きは必須です


その孤独で険しい道の先に 未知であり 元の自分が存在するのでしょう