昨年から通っている美容室の店長さん(男性・推定40代前半)とスタイリストさん(女性・推定50代前半)の仲があまりよろしくない。
仲がよろしくないというより、店長さんがスタイリストさんのことをとても嫌っているのが伝わるのだ。
私が初見ですぐにその二人の関係性に気付くくらいなので、一緒に働くスタッフの方々はどんな気持ちで二人のことを見守っているのだろうかと少々心配にもなる。
そして余計なお世話だとは思うが、看板を掲げ店を構える者として、このままでいいのだろうか、とも思う。
本当に余計なお世話だ。
店長さんのそれは、私がたまたま敏感だから気付いてしまった、などというレベルの嫌い方ではない。
「俺はお前のことが嫌いだ」
というツンツンに尖った鋭いものが、店長さんからスタイリストさんに向けてビシバシ飛んで行き、スタイリストさんの背中にグッサグッサと刺さっていく。
本来見えないはずのものが、勢いよく放たれ思いっきり飛んでいくのがわかるのだ。
表情、声のトーン、態度、そもそも無視。
残念だが、どう考えてもこのスタイリストさんは店長さんから嫌われている。
そして、貰い事故と言ったら失礼なのだが、そのスタイリストさんに担当して貰っている私にも漏れなくその尖ったものはブスブスと刺さりまくるわけで。
嫌いな人の客だから嫌いになるという仕組みなのかも知れない。
いい加減にしてくれ。
しかし、そんなスタイリストさんもなかなか強い個性の持ち主なのだ。
店長さんだけが理由もなく一方的に攻撃しているとは少々考えにくい。
初対面でこんなことを勝手に想像して分析する私もどうかと思うが、職場の人間模様など大なり小なり何かあって当然である。
私が初めて来店した際、
「髪が多くてすみません~」
と、スタイリストさんにヘラヘラ謝ると、
「ですよね~!めっちゃ多くて大変そうだなぁと思ってましたぁ!え!ちゃんと謝ってくれるんですね!ありがとうございます!」
と、返ってきたことがあった。
「ちゃんと謝ってくれるんですね」という所にこのスタイリストさんの強烈な個性を感じ、店長さんのあの態度にも合点がいったのだ。
さて、貰い事故はあまり気持ちのいいものではないし、このスタイリストさんのことが好きというわけでもないのだが、私がこの美容室に通うにはちゃんとした理由がある。
まず家からとても近いこと。
自転車で5分という立地の良さは、ズボラな私にはもってこいだ。
ささっと行ってささっと帰ってくることの出来る距離は何ものにも代え難い魅力のひとつである。
そして、スタイリストさんのカットの腕が良いこと。
私は恥ずかしげもなく、インスタでフォローしているお洒落なアパレルスタッフのお姉さんの髪型を見せて「こんな感じにしてください」とオーダーしている。
ボブでもなくロングでもないロブという長さにして貰うのがここ最近の定番なのだが、私の髪質と量を見てどこまですけるか、すきすぎて浮きやすくならないかを見極めるのが上手い。
私は髪の量も多く広がりやすいので、カット後3ヶ月が経っても理想的なシルエットを保っているのはこのスタイリストさんが初めてだ。
あとは些細なことではあるが、アシスタントさん(女性・推定20代前半)のシャンプーが常に無言であり非常に気持ち良いことも大切な理由のひとつである。
私は美容室のシャンプーが大好きだ。
薄暗いシャンプー台で目を閉じて頭を洗って貰う時間は極上の癒しタイム。
とにかく今は自分の頭皮だけに全集中したいのだ。
誰も話しかけてくれるな。
以前通っていた違う美容室では、シャンプーの間中ずっと話しかけられることがとても苦痛で通うのを辞めてしまった。
私にとって美容室のシャンプーはそのくらい大切な位置付けなのだ。
それだけと捉えるかそんなにもと捉えるかは人それぞれだと思うが、少なくとも私はここまでいい条件が揃う美容室に出会うことはそうそうないと思っている。
今年のお正月、その美容室から年賀状が届いた。
『このハガキをご持参頂くと、炭酸スパをサービスさせて頂きます』
と書かれてある。有効期限は2月初旬。
2月は娘(小1)の授業参観と懇談会もあるし、ちょうど1月中に美容室へ行きたいと思っていたところだったので、私は跳びはねる程喜んでその年賀状と共に早速予約をした。
予約当日、受付に立っていた無言シャンプーが気持ちのよいアシスタントさんにその年賀状を渡し、早速施術に入る。
今日も相変わらず店長さんはスタイリストさんに対して苛ついた様子を見せているが、私にとって取るに足らないことだ。
遂に極上のシャンプータイムへ突入のタイミングがやってきた。
しかし、無言シャンプーのアシスタントさんは今他のお客さんのシャンプーに入っている。
しまった、嫌な予感がする。
やはり、この日の私のシャンプーはスタイリストさんが担当することになった。
もう一度言う、嫌な予感がする。
案の定、私が心から楽しみにしていた極上のシャンプータイムはスタイリストさんの独壇場と化した。
高校生の娘さんがバレンタインに豆腐のガトーショコラを作ったらドロドロ過ぎて失敗しかけたけれどホットケーキミックスを入れる案を提案したらうまくいって大好評だった話とか、ネットショッピングでスカートを買ったら思ったよりピチピチで失敗したけれど、手持ちのベストを合わせたらお腹回りを隠せてなんとか着られるようになって良かったという話だとか、まだまだ話し足りないといった様子で私のシャンプーはあっという間に終わった。
極上度ほぼゼロのシャンプー台からカット台へ戻り再度ケープをかけられると、タブレットで雑誌の続きを読むことにした。
気分を変えていこう、こういう時もある。
まだ炭酸スパが残っているではないか。
次こそは無言シャンプーのアシスタントさんに担当して貰えるはずだ。
するとお喋りスタイリストさんが私の所へ戻ってきてこう言った。
「私、うっかり炭酸スパのこと忘れてました!すみません!代わりに電気バリブラシでもいいですか?」
はいぃぃ~?!
開いた口が塞がらないとはこの事だ。
今からもう一度シャンプー台に戻るという選択肢はないのだろうか。
嫌です、と言えば私はとんだわがままな客だと思われてしまうのだろうか。
はっきり言わせて貰えば、私は無言シャンプーのアシスタントさんが施してくれるシャンプーと炭酸スパを楽しみに予約したも同然だ。
そりゃあ元々は年賀状持参のサービスではあるが、だからと言って蔑ろにし過ぎではないか。
シャンプー中散々お喋りしておいて、炭酸スパを忘れ、更にもうやるつもりはないから違うもので勘弁してくれだなんて、あんまりではないか。
かと言って、サービスの炭酸スパに執着している姿を晒すわけにはいかない。
色んな思いが一瞬の間に頭の中を駆け巡った。
試されている。
私はこの瞬間神様に試されているのだ。
小さなことは気にしなさんな。あなたに起こる ことはすべて最善です。
神様からそう言われているような気がした。
あぁ困った、まさに今、私の一挙手一投足を神様が見ている。
神様のことだから、先程の溢れだした苛立ちや炭酸スパへの執着まできっとお見通しだ。
「あぁ~そうだったんですね~それで大丈夫ですよ」
私は、全く何の問題もないですよという風に答えた。
そして嬉しそうに電気バリブラシの説明を始めるスタイリストさんの顔を鏡越しに眺めながら、込み上げてくるむず痒さを我慢するしかなかった。
今にも「結局電気バリブラシにしてよかったですよね」とでも言いかねないほどイキイキと電気バリブラシの魅力について話す彼女を見ていると、本当にこれが最善だったのでしょうかと神様に問いたくなるのだが、恐らく今の私の頭皮には炭酸スパより電気バリブラシの方が最善だという神様からの思し召しなのだと思うことにしよう。
それならば納得もいく。
ちなみに、美容室を予約するきっかけとなった2月の授業参観と懇談会は、娘のインフルエンザにより自宅療養となってしまい参加することが出来なかったのだが、これもまた最善なのだと思いたい。