それぞれの『家庭』の巻 | 私のシロパイ。

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2017年 職場のマンモグラフィでの乳がん検診をすり抜けてしまった私の「高濃度乳房」別名「白い乳房」
2018年1月 右胸乳癌ステージ2b、全摘、シリコンによる一次再建
1日1錠のホルモン治療中で、週6筋トレ生活送ってたが
2021年7月 右腕リンパ浮腫に

2024年3月19日(火)


体重→43.0 BMI→17.0 体脂肪率→22.2 筋肉量→31.7 内臓脂肪→2.5 基礎代謝量→943 体内年齢→41歳


実家の母から電話が来て

「長く介護保険掛けてるのに

全くその恩恵無いからダメ元で『掃除とかお願い出来るか?』と地域包括センターの人に来てもらって色々相談したら

『元気そうだからダメですね~』だって〜(笑)」と。


そりゃそーだ、元気に麻雀とか

ランチとかカラオケ行けてる人が幾ら独居老人でもいくらなんでも

それは無理だろう。真顔

けれど「『ひとりでお風呂入れない』とか何らかの出来ない事が

出てきたらいつでも相談下さいと言われたわ。

この先、身体の調子が悪くなったら

ショートステイとか使えるサービス有れば使えるようになるらしいわ」と。


母の周りは旦那に先立たれた元気な独居女子や生涯独身を通した女子が多く、

皆、「介護保険払っても全く、その恩恵は無い凝視」ってボヤいてるそうだ。ゲラゲラ

「まぁ、それだけ元気だって言うことだから良いんだけどね~口笛」と。


義母さんもケンカしがちだった

義父さんがピンピンコロリで亡くなって

「お父さんがいなくなってやっと自分の時間を自分の好きに使えるようになった!」と言っていたのをたまに思い出す。

やっぱり、教会友達と出掛けていても

「ご飯作りに帰らなきゃ」って

後ろ髪を引かれる思いで皆より先に帰ってたんだろうな。キョロキョロ


そういった意味では会社経営して経済的にも自立してた母は

父にとっては『俺がいなくても大丈夫な女』的に思われて?

子ども達が独立してからは

徐々に父の気持ちも体も家から離れていったから

それからは世話は焼いてなかったから母は自由だったし、

父がガンになった死の間際も

『他の女』が世話してたし(笑)

ある意味、パートナーの長い看病とかは皆無だったふたりだった。知らんぷり



話変わって昨日、お向かいさんと久しぶりにLINEで話したら

「旦那が7年振りに『生活費や!』って3万渡してきた凝視」と。びっくり

…えっ⁉ 7年全く家に生活費入れなかった旦那さんて…ガーン


お向かいさんは夫婦で一級建築士でウチのお向かいに共同事務所構えてて、住まいは旦那さんの実家でお姑さんとも同居してる。

で、その家のガス代や電気代、

水道代、一人息子に掛かった全てのお金も全部、友達がひとりで払ってきたらしいガーン

(7年間ずっと朝食は友達がお金出して作って、夕飯は義母がお金出して作って、旦那さんが払うのは

自分のお昼ご飯のだけだったらしい、

それでも年金暮らしの義母は

そんな息子のために嬉しそうに『お菓子置き場』にせっせとお菓子を買ってきては補充する毎日らしい…真顔ソレが生きがい?不安)


7年間の空白、それに対しては

「アイツ、何の謝罪もお礼も言い訳すら無いんやで…真顔」と。

カオス…不安

「あんなヤツ、いつかバチがあたればいいと思ってるわ真顔」と。

「来年からアイツ、年金暮らし始まるからかな?凝視

でもこの3万もこれっきりかもしれんしな…凝視」と不安


それでも同居の義母さんが存命のうちは離婚も面倒くさいから

波風たてなく暮らすつもりだと…。

そこまで我慢する意味って何?驚き

ちなみに旦那さんは死亡保険等も勝手に解約したらしい…不安


うちもだけど見た目、表面上には平和だけど改めて

色んな家庭があるんだな…と知った私なのであった…真顔


ではまたねバイバイ