私のシロパイ。

私のシロパイ。

2017年 職場のマンモグラフィでの乳がん検診をすり抜けてしまった私の「高濃度乳房」別名「白い乳房」
2018年1月 右胸乳癌ステージ2b、全摘、シリコンによる一次再建
1日1錠のホルモン治療中で、週6筋トレ生活送ってたが
2021年7月 右腕リンパ浮腫に

2017年1月 職場のマンモのみの乳がん検診受ける。(異常なしの結果)
11月末の夜 お風呂で右胸のしこりに気付く 
12月1日 地元乳腺外科クリニックにて最初のガン告知
※ここで自分が乳がんでもマンモには写らない『高濃度乳房』であったという事実を初めて知る。
ここはシリコン入れ替え手術をしてない病院だったので紹介で
12月 大学病院に転院 右乳房上外側部乳がん 右腋窩リンパ節転移の2度目のガン告知
2018年1月29日 右皮下乳腺全摘 右腋窩リンパ節郭清 同時再建手術

<術後病理検査結果> 
浸潤径 3×2 グレード2 ER(Score 3b),PgR(Score 1),HER2(Score 1),
Ki-67 index>50%

2月21日~4月25日 抗がん剤治療
5月 右腕 モンドール病(その後 もう1回、これは自然治癒)
6月8日 シリコン入れ替え手術(術後 モンドール病も治る)
7月4日~8月8日 放射線治療
9月 乳腺外科主治医の『運動によるホルモン療法の副作用軽減』実験の為 カーブス通う
3か月無料実験後 カーブス入会 今も週6筋トレ続ける
2019年11月 血液検査結果により閉経とみなし、タモキシフェン→アナストロゾールへ変更
2021年2月10日~半年に1回のプラリア注射開始 ※アナストロゾール副作用、骨密度低下で
ホルモン療法による体重増加もなく、順調と思われたが
2021年7月 右腕リンパ浮腫発症
8月4日 乳腺外科からの紹介でリンパ浮腫外来受診
8月25日 ICGリンパ管造影検査 スリーブ装着開始 
12月8日 スペクトCT
R4 3月 リンパ管静脈吻合術 



 

2024年4月29日(月)


体重→41.5 BMI→16.4 体脂肪率→19.0 筋肉量→31.8 内臓脂肪→1.5 基礎代謝量→939 体内年齢→41歳


連休に入るも不安定な天気で

主人、午前中から朝ご飯も食べずに畑に行くも雨降ってきて昼前に帰ってきた真顔

野菜室に入り切らないほどの巨大新玉ねぎも持ち帰ってた…←消費が追いつかず凄く迷惑悲しい

何事も程よく…で良いのよ。

身の丈を知るっていうかね。

特にネギ系は腐ると臭いが…ショボーン

あっ、じゃがいもとかの炭水化物系も別の嫌な臭いするけどね。不安

連休も後半はお天気良いみたいだけどね。知らんぷり


まぁ、私には

『連休』なんて関係ない。

家事をする主婦に休みはない悲しい

てか、皆が家に居るほうが三食だし家事の負担多いし…。凝視


大学病院の母からもLINEで

「連休の病院は静か」と。

休日は外来診療も無いし、いつもは人の多い一階の受け付け等も

静かだよね。

結局、退院は2日に決まったそうです、2泊の予定がかなり長引いたね〜泣き笑い

「退屈凝視」だそうです。(笑)

あんなに一昨年の年末の肺炎入院騒ぎで皆をドキドキさせたのに

「入院って空調も快適だし寝ててもご飯も出るし快適ね♪

毎年、年末は入院しようかしら口笛」とか自分勝手な事を言ってたくせに。真顔

長く入院する事で知らず知らずに筋肉が衰える方がどうかと思うけどねえー


ではまたねバイバイ



2024年4月27日(土)


今日2回めの投稿。

カーブスでの話。

もちろん、皆、筋トレしながらの会話。

カーブスは一度そのサークルに入ったらずっと休まず2周するのね、

だからその間の会話。


私の後ろによく会うおばちゃんAとおばちゃんBがいて

その話を何気なく聞きながら黙々と筋トレしてたんだけど

おばちゃんAがBと自身の母親か

義母の病院でずっと長患いして

最後の方は『生きてる』だけで

意思疎通も全く出来なかった話をしていて

そこからAが「あんなのを見てきたら私はあまり長生きはしたくないわ〜凝視」と言い

「そうよね凝視」とBも。

続けて

「うちはダンナに『私の方が先に逝くからね!えー』って言ってるの(笑)」と言うとBも

「そうだよね、だってお葬式とか後始末とか年取るとあとに残された方がしんどいよね!」と。


皆さん、人生もそこそこ色々体験なさって

もう孫も成人してて、

当然、色んな人生の終わりを

色々見てもいるし自分と重ねる事も多いのだろう。

そこで黙って聞いていただけの私だったけど思わず振り向いて

「私も先に逝きたいです凝視」って手を挙げちゃったわ(笑)


この前も訪問カットの98歳のお客様が

「近所に妹がいるんだけど

もうお互いに足も悪いし

自分の意思では会いに行くことも出来ないのよ…ショボーン」と言ったのが

印象的だった。

自分の好きには暮らせない長生きか…。


この前帰省して母が自分の妹らとランチ会で会った帰りに

「妹のことを見送りたくないな、

順番的にも姉の私が先に逝きたい」

と真顔で呟いた、本心なんだろうな。真顔


長生きってなんだろう…。

昔は長寿は良いことだったはずなのに気がつけば普通に100歳近く生きる様になってて汗うさぎ

長生きだからこその介護、お金等の問題も多くなり

いっそ昔みたいに50くらいで

人生終わる方が何の心配もなくで良かったのか?とさえ思わなくもない今日このごろ。

それくらいで人生終わるなら!と意外と思いっきりよく生きられたりして…キメてる

不安な状態が長く続く辛い人生ならいっそ短命も有りなのかも…とか思ったりしなくもない今日このごろです。


でも、カーブスのそのおばちゃん達の会話の終わりは

「お互い、そう言っててこのままずっとカーブス来続けて凄く長生きしてたりしてね!笑い泣き」でした(笑)

生きるのも死ぬのも難しいんだな。


入院中の母からまたLINEきて

「早く出所したいわ凝視

さっき展望階に行ったらドクターヘリが飛んできた」ときっと

暇すぎるんだろうと思います泣き笑い


ではまたねバイバイ


 

2024年4月27日(土)


体重→44.2 BMI→17.5 体脂肪率→21.7 筋肉量→32.7 内臓脂肪→2.5 基礎代謝量→973 体内年齢→41歳


入院中の母からまた翌日にLINE、

「昨日より目が開いて楽になりました♪」と。口笛

よく顔を激しく整形した人のYouTubeにあるように術後は腫れが上から下へと移動するのか

今日の母の自撮り写真は目の腫れは昨日よりひいていて

かわりに今度は頬が腫れてる様な感じに。不安

それでも「売店まで歩いて脚の運動してます♪」と(笑)

だよね〜、入院中の楽しみって

マジで売店しかないもんね笑い泣き

私も『売店詣り』を日課にしてたもん口笛


10階の部屋だったから行きはエレベーターで帰りは階段、

その為だけにスニーカー持参してたもんニヤリ

息が切れるんだけど根性で登る(笑)

何よりもいつもより運動量少ないから

少しでも夜ぐっすり寝るためにもより身体を疲れさせる様に。

私にとってシンドい入院の記憶は全摘手術の当日と翌日くらいだった記憶。

やっぱり、本来有るものを切り取った訳だから胸に鉄の板入れられたような焼失感というか

痛重い感じだった。キョロキョロ


今ではその全摘と同時に入れた『そこに水を日に日に増やして

胸の皮膚を伸ばしていく袋みたいなヤツ』の名前さえ、思い出せない…えー

アレの名前、何だったっけ?泣き笑い

あっ、エキスパンダー!?だっけ!?

ソレぐらい過去のことになってるのね…真顔



話変わってカーブスに新しく若いコーチが入ってきました!

19歳の、小麦色の肌の◯◯ちゃん♪←アニメみたいな思いっきり

キラキラネームなのよ!笑い泣き

常連のおばちゃん達がアレコレと根掘り葉掘り質問してました(笑)

帰り際に

「あ~ゆ〜子から『若いエキス』もらわな!ニヤリ」と半分セクハラの様な台詞を吐いて去っていくおばちゃん達でした…ガーン(笑)

連休でカーブスも休みが多いけど

隙間で行ける時に行かないと

リズム戻せなくなりやる気も失せて体が鈍るからね知らんぷり


ではまたねバイバイ