おかんの奇跡・・!?

テーマ:
うちの オカンも

なかなか持っている!?


と 言いますか、

一生懸命 真面目さで

勢い余ることが あります。


というのも、

1月5・6日と 高知のおじいちゃんの

お見舞いに行った時のこと。


集中治療室から

一般病棟に移ったおじいちゃんは、

四人部屋の病室に

入院していました。


おじいちゃんが 倒れて搬送されたと

聞いた日から、

1日も早く 会いに行きたかった

ことでしょう。


岐阜から 遥々電車を乗り継いで、

その間も きっと オカンは

気が気じゃなかったことでしょう。


病室に着くやいなや、

いきなり おじいちゃんに


「おとうちゃん!!」

と 大きな声で

呼んでしまいました。


おじいちゃんは、

意識は 戻っていないのです。


しかし ものすごい いい間で、

向かいの おじさまが

「・・ハイ。」


と お返事を 返してくれました。


!!


それには 悲観してしまっていた

私が 救われました。


(ありがとうございます、

あなたも どなたかの

お父さん でしたか。)


と 我に返り、

すかさず おかんの 肩を

バシっと たたき

(病室やから 静かに 言わんといかん。)


と 小声で 言いました。



しかし 今から 思い返してみても、

絶妙の タイミングでした。

やろうとしても

できないタイミングと言いますか、

「間」が とっても良くて。


声が出ない おじいちゃんの

代わりに 応えてくださったのか。

それ以降 向かいの方も

声を出されることもなく。


今 思い出しても、

そんなことも 起こるものなんだなぁ

と 思います。



そうそう、

そんなこともあるんだなぁと 言えば、


昨年 3月に 高知へ来たときの

駅にあった 「こなきじじい」の

人形が すごかったです。



「南風」という電車に乗って、





「大歩危(おおぼけ)」という

駅に います。






風雨に さらされてか、

本当に  子が泣く仕上がりに

なっておりました。







いつだって、

事実は小説より奇なり。



本日も、

お読みいただきまして

ありがとうございますキラキラ



うちの カノジョブタネコ

猫を触ったことのない

おとん に、

「なでろや」と 行けるので

すごいな と 思います。















とある夫婦の 物語。

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女は高知の 山奥で

7人兄弟の 長女として生まれる。


男は 高知の 山頂に

11人兄弟として 生を受ける。


女は 長女であったから

戦争もあって、

食料に困る時は いつも

下の兄弟へ あげなさいと育てられた。


そんな女は 嫁ぐ先を、

食べるものに困らない

お米を作る 男の元へと決めた。


夫婦は米を作り

牛を飼い、

自ら 開墾をして

蚕(かいこ)を飼い

土方の仕事もした、

朝早く暗いうちから

ケールの葉も 出荷した。

炭を焼き 蜜蜂も育て、

上手に ブドウも作った。



二人の子供を

立派に育て上げた晩年、


女は 全身の筋肉が動かなくなる

病気になった。


徐々に 徐々に

手足の自由が奪われて、

「自分のことは 自分でやらねば」


と生きてきた 気丈な 女が


「なんっちゃ

  出来んようになった」

と 涙を流す姿に、


女の孫は

ただただ 一緒に泣くことしか

出来なかった。


夫である 男は

週2日 山頂にある家から

妻の病院へ お見舞いに行った。


動かなくなった 妻の手足をさすり、

話せなくなった 妻の横に

しばらく 座っては

静かに 病院を後にした。


細々と 自分の 身辺整理も始め、

「おばぁを 看取ってから

  自分が 逝くのが良かろ」


と 言った。


しかし その希望は

叶うことなく、

2019年 1月8日

妻を残し この世を去りました。


それは

若い者に迷惑をかけたくないと

常日頃 思っていた男が、


2018年 1月28日

転倒による 脳挫傷を起こしてから

わずか 10日後の出来事でした。




昨年の 3月に

高知のおばあちゃんが

余命を告げられたので、


おかんと 私は

慌てて 高知へ行きました。

おばあちゃんの お見舞いを終えて、

高知のおじいちゃんの家で

夕飯を食べている時に


大好きなお酒を飲みながら、

おじいちゃんが

涙を落としました。


「(おばぁは) なんっちゃ

  悪いことしてないきの。」

(どうして こんなことに なったのか。)



「なんっちゃ こわいものはないと

   言うとったけぇの。」


そのくらい 強く たくましく

人生を切り開いてきた

おばあちゃんの今の姿が

とても悲しかったのだと思う。


「なんっちゃ 話せんけん、

  いかんよの。」  


と 涙を 溢すおじいちゃんの背中を

さすることしか

私には 出来ませんでした。


そんな おじいちゃんの 楽しみは、

薪ストーブで お酒を飲むことと

15時から 相撲をテレビで観ること、


おばあちゃんの

お見舞いに行った帰り、

コーラを1本 買って飲むことでした。


「じゃあ 今度来る時は

 コーラを 箱で買ってくるわ」

と 言ったら、


おじいちゃんは

「そんな飲めんき、

 1本ばぁ あったら ええんよ」


と 笑って言いました。


だから 年末に

おじいちゃんが倒れて

集中治療室へ入ったと聞いて、


猛烈に 泣きました。


脳に出血もあったので、

もう元の生活には戻れないとも

聞いていました。


おじいちゃんが おばあちゃんを

お見舞いに行って、

コーラを買って飲むことが

出来なくなる。


幕下の力士が

強い者に立ち向かって行く、

おじいちゃんの大好きな相撲も

観られなくなる。


お正月が明けて、

5日・6日と 慌てて おかんと

高知のおじいちゃんのお見舞いに

行きました。


呼吸が荒く しんどそうやったけど、

今すぐに どうこうではない


リハビリも始まると聞いて

徐々に 回復するのを

気長に待つしかない

と 帰って来た 2日後、


危篤状態なくして

おじいちゃんは 亡くなりました。


誰にも迷惑をかけたくない、

という おじいちゃんらしい

迎え方だったな と思います。


おじいちゃんの家には、

おばあちゃんが元気だった頃に

おばあちゃんがもらってきた

黒猫(ニャオ)が います。


猫が好きな私は、

なんとかして ニャオと仲良くなりたいと

試みるのですが、

私の姿を見るだけで

ニャオが逃げてしまうという 有り様。


(これは 昨年3月高知に帰った際、

親戚が ニャオに ちゅ~るを

あげる姿を 遠くから 撮影。)  


写真よりも 本物の ニャオは

目が まんまるで

とっても かわいいです。





左に写っている足が おじいちゃんで、

ニャオは このサンダルの

足音を 覚えていると

聞いていました。


おじいちゃんが 棺桶に入って

家に帰ってくると、

ニャオは 棺桶の足元から頭まで

くるりと 一周したそうです。


そして 1度も私に 寄ってきたことが

なかったにも関わらず、


夜 私が 歯磨きのために

おじいちゃんのサンダルを履いて

土間に下りた足音を聞いて

愛しそうに


「ニャーオ、ニャーオ」と

何度も鳴いて 何往復も

すり寄って来ました。


おじいちゃんじゃなくて、

ごめんね と なでました。


おじいちゃんの

お骨まで拾ってきましたが、

去年の3月の元気な姿がどうしても

記憶にあるので、


あの お骨は

誰か別の人のものだったのではないか。


という 気さえします。


突然のことだったので、

おじいちゃんが寝ていたベットも


夜中に目が覚めてしまって

困ると言って 見つめて過ごしたであろう

時計も、


自分のためには

床暖房を入れなかったのに


ニャオのためには

24時間入れっぱなしの

小さな正方形カーペットもそのまま。


おじいちゃん だけが

いなくなりました。


大好きだった ピカピカに

磨かれた農機や、

おばあちゃんも 連れていくことは

出来ない。


90年 付き合った

自分の体さえも、

何も 持ってはいけない。


ということを

おじいちゃんから

教わった気がします。


高知のおばあちゃんは、

入院していますが

余命と言われた期間をゆうに越し、


お正月明けに お見舞いに行った時には、

力強く 手を

握り返してくれました。


今から 思えば、

元気な おじいちゃんに

会わせてくれたのは

おばあちゃんの おかげかなぁと

思っています。


これは

洗い物をする おかんを 見ながら、

お酒を飲む

昨年 3月の おじいちゃん。






そして その時の帰りの朝、

3月には

珍しく出た という 雲海。










今年 1月11日 高知からの帰り道、

岡山への瀬戸大橋で

夕日がさしたのを見ていたら







どんどん





どんどん

光が 強くなって、





ほどなく

光の道が 出来ました。







きっと

おじいちゃんの 向かう道だろうと、

ぼんやり

思いました。


慎ましく、

家を守り 生きた

尊敬する 私の高知の おじいちゃんです。




本日も、

本年も

お読みいただきまして

ありがとうございますキラキラ


おかげさまで

カノジョブタネコ

元気になりました。



いつも 通り、




いや いつも以上に

ふてぶてしく、






2019年も

過ごしております。





本年も

どうぞ宜しくお願い致しますお月様


後日、談。

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妹の結婚式に

家族で出席するにあたり、

私が記憶するに 初めて

一家総出で 家を留守にすることに

なりました。


じぃちゃんも 久しぶりの関東

ということで、

免許を返納してしまったけど

おとんの運転の 助手席を務めるべく


何週間も前から

虫眼鏡で 道路地図を熟読。


あまりに 虫眼鏡で見るので、

とうとう ハズキルーペを購入。


ハズキルーペを 胸に

上京。


行きのインターを降りて、

ホテルまでの8キロが

ブラックフライデーとやらで

大渋滞。

8キロを 2時間かかりました。


初めての道で

一体 いつになったら着くのかと

途方に暮れる中、

じぃちゃんは 助手席で

ひたすら 皆を励ますかのような

言葉やら 落ち着きを見せ、


窓から見える景色を 見て

冗談を言ってみたり。


じぃちゃん トイレ大丈夫?


と 聞くと、

「タンクが大きいから大丈夫!」

と 言ってみせたり。


かっこいいね  じぃちゃん!!

と 思いました。


長時間と 渋滞で疲労感漂った頃、

車のラジオから、

北島三郎さんの 「与作」が

聞こえてきました。


与作は 木ィ~を切る~♪

ヘイヘイホ~ (ヘイヘイホ~)

ヘイヘイホ~ (ヘイヘイホ~)


初めて ちゃんと

与作を聞きました。

(ヘイヘイホ~)の 繰返しの所も

サブちゃんが 歌っていまして、

まるで 山あいの遠くで

こだましているかのように

歌うので、


めちゃくちゃ うまいなサブちゃん!!

と 大興奮していましたら、


さらに ハイトーンで

オペラ歌手顔負けくらいの

気持ちのいい かけ上がるような

メロディを聞かせてくれたので、


たまげました。


サブちゃん!!

めちゃめちゃ 上手いな!!

与作の 歌詞もいいな。


あの ラジオから聞こえて来た

与作が 聞きたくて

あれから 何度も YouTubeで

与作を聞きますが、

あの 素晴らしい与作には

会えていません。


何だったんだ あの

すごい 与作。


そして ホテルに着くと

速攻 じぃちゃんが 前のめりで

トイレへ。


いやいや すごい

我慢しとったやんか。

でも おとんを 焦らすまいという、

じぃちゃんの 男気を見たような気がして

かっこよかったです。


それどころか、

じぃちゃんは 行きも帰りも

助手席で 一睡もしないで乗っていて

かっこよかった。


むしろ おかんと 私は

後ろで ウトウトしてしまって。


おかんが 寝てしまった際は、

おとんは おかんが寝るのは

くやしいのか

運転席から ボタン押して

おかんの所の窓を無言で開けて、


高速だから おかんの顔に

風が ババ バババ!!

と 当たるのが 面白かったです。


開けること ないやん!

と おかんが 言っていました。


そうそう、

結婚式の 最後の花嫁の手紙で

姉の登場あるかも!!

と 今か 今かと 聞いていたら

全く 登場しなくて、

なかった!!


と 泣きそびれていたら、

式の最後 結婚式の映像と

出席者の名前と 新郎新婦からの

一言が 流れて、


私の所で

「みんなの お姉ちゃん

 本当に 本当に ありがとう」

で 私の 涙腺は 決壊しました。

(簡単)


後で そのことを

妹に 伝えたら、

「姉のツボを 心得ている。」

と 小さな声で言っていました。


妹は 私を 転がし上手で、

私も 妹に 転がされ上手だなと

思いました。



今回 二泊三日の全員旅行で、

一番大変だったのは

カノジョブタネコ の 15才にして

初めての 外泊でした。


言葉が通じないけれども、


必ず迎えに行くから いい子で

いるんだよと

言って聞かしていたのですが、


前日夜は この顔。






念のため 前もって

私の部屋で 匂いをつけた

タオルも 持たせ準備して

行ったのですが、


宿泊施設へ引き取りに行って

二日後に

また 右の顔が膿んで

腫れてしまいました。


慣れぬ 生活のストレスからか、

前の外傷か、

歯槽膿漏なのか、


病院へ連れていき

切開をして 膿を出し

奥歯も1本抜きました。


また 顔から管を出して

フランケンシュタインで

帰ってきました。


1日2回 消毒をして

抗生物質を飲ませて 管は取れました。


が、コメカミ 撃たれたみたいに

なってます。





昨日 抜糸が済みましたが、

食べたものを

もどしたりする回数が多く、


カサブタを 引っ掻いて流血したり

ぜんぜん違う所を 掻いて

毛を 抜いてしまったり。


言葉がしゃべれない分、

なんとかその意図を 汲み取りたいと

注意深く 見守りながら

できることを 探す日々です。


カノジョにとっての

こんな 日常が

待ち遠しいです。








本日も、

お読みいただきまして

ありがとうございますキラキラ



大切なものができて

ひとは 強くなるのか、

弱くなるのか。


今のところ、

どっちも だ。