例えば テレビのシーンなどで、意識不明の主人公が目を覚ます時
目をパチと開けて
「花子、気がついたか!」などと言うシーンがよくあるが、私の場合は違った。
、目を閉じる前の最後の記憶が、自分は死ぬんだと思って目を閉じたため、脳が覚醒しても自分は死んでいると本気で勘違いしていました。
聞きなれた家族の声が聞こえる
ガヤガヤ ガヤガヤ
...
死んでも耳が聞こえるというのは、本当だったんだ。生き返ったらみんなに話さなくちゃ。
そんなことを思いながら、脳が寝たり起きたりを繰り返していたと思います。
、脳のダメージのせいでしょうか。眠りから覚めたら,目を開けるという当たり前のことを忘れていました。
もしかしたら、開けようと思ったのかもしれませんが、麻痺があり
瞼をあけることができなかったのかもしれません。瞼も筋肉で動いています。
自分は死んでいるんだから、いつまでも寝ていてもいいんだ。それにこはどこだろう。長女の声が聞こえる気がする。みんな泣いているのかな。
さっさと目を開ければいいのに。もし脳波計でもつけられていたら、脳は起き始めていることはバレていたと思います。何も知らない両親にひたすら長く心配をかけてしまいました。
脳が覚醒する時と目👀を覚ます時との間にずいぶんとタイムラグがありました。
それでも人間の生きたい、食べたいという本能でしょうか。しばらくして目をあけました。11月半ばだと思います。
本当に目を開けた時、視界がぼんやりしている中、由目の前で指がゆらゆらゆれていました。
「おーい 見えるか✋”」
聞きなれた父の声でした。なんでお父さんが?と一瞬思いましたが、私は高次機能障害という後遺症をおい、状況を判断したりする能力がかなり低下していました。
周りは私が目を覚ましたことをとても喜んでいる雰囲気が感じられました。
「名前は?』『大山みかよん」
『年齢は?」「49」
「わかっている!」「しゃべれる!」
いちいち拍手と歓声があがりました。
脳の損傷具合の確認でしょうか。毎日のように看護師から質問があります。
「こここはどこですか?」
「E原病院」
『なぜ入院してるのかわかりますか?」 「くも!」
唇の左半分が動かなくなり、(唇も筋肉で動いてます)ろれつが回らなくなり、くも膜下出血と言えなくなっていました。めんどくさかったのもあると思います。
口には酸素マスクがついています。腕には点滴、尿道にはバルーンカテーテル。頭からもよくわからない管が出ています。その頭の管がとても大切で、無意識のうちに、引っこ抜くと大変なことになるそうです。手術後の廃液でも出していたのでしょうか。
そのため私の唯一自由に動く右手にはグローブがはめられて、鎖でベッドの柵にしばられていました。右手が吊り上げられていて痛くてたまりません。
「とってよー とってよー」
ガチャガチャ。私は、絶対取る。と相当頑張りましたが、ダメでした。
誰かが手を握ってくれている間だけは、鎖をはずしていいということになったらしく、時折長女が手を握ってくれます
「ママ...」何とも言えない長女のこのほんわかとした雰囲気。はっきりしない頭で、自分が生きていることを意識し始め、幸せな気持ちになりました
この先のことは全く考えられず、すぐまた死ぬだろうくらいに思っていました。
本来の私の性格ならば、この先どうなるんだろう くらいなことは、考えそうですが、頭にモヤがかかったように、何も考えられない、恐怖、心配すらできない頭になっていました。