朝バイク | 幸福への意志 悩みのひととき

幸福への意志 悩みのひととき

ダーク・サンタと鋼鉄のトナカイ

最近、朝の目覚めにコンビニまでバイク、というのが日課になっている。

お目当てはアイス・コーヒー、言うまでもなくバイクに乗る口実である。

 

ここのところ不眠気味であり、強制的な目覚ましというか。

気付けの一杯、気付けのバイク、ということでやっていたのが癖になってしまった。

あんまりにも睡眠が浅いので、まさかと思って昨日はグルテン・フリーにしてみたところ、今朝はよほど深く眠ったらしく起きたらフラフラ、とてもではないがドカをやれる感じではない。

せっかく天気がよいというのに50のトナカイちゃんで走ってきた、という次第である。

 

我ながら書いていてどうかと思う。

バイクブログなのにちっともバイクの話題がない。

まァ、キックでエンジンかけて、ポロポロとローソンまで走って、アジア系の店員さんのアニキにコーヒーもらってタバコ吸って・・・・・・・。

そこらをフラフラ走ってまた帰ってきただけだもんな。

楽しいのかって?

 

楽しい。

いつも言っていることだが、ホンダのカブ系のエンジンはとてもイイ味。

シンプル・イズ・ベスト、余計なものが何もない旧い原付は路面の感触も露骨で面白い。

 

以前、自動車趣味をやっていた頃、私がクルマを買うときに必ず問題にしたのは、

 

ただ動かすだけで満足できる車体かどうか

 

愛車自慢に性能自慢、ツーリングにミーティング、それも悪くない。

しかし、そうした遊びが必要なくなるぐらいの乗り物が私は好きだ。

車庫にソレが置いてある、ちょっと眺めてタバコを吸って、それだけでもかまわない。

自分の生活の中にその道具がある気分。

シートに座ってガソリンと革の匂いを嗅いで、エンジンの音、その回る感覚を味わい――。

サスペンションの動きやコーナーリングの挙動、クルマの反応を愉しむ。

 

たとえばメルセデスのオーナーには乱暴な走り方をする人が目立つわけだけれども、アレはメルセデスが無感覚で退屈だからあそこまでやってしまうんだ、とは私の言い方で、

走る気が失せるぐらいでないとダメ

 

愛車を消耗させたくない。

乗るのがもったいない。

でも乗りたい。

どうしよう?

 

そんな風に悩んでみる、それ自体がまた楽しい。

せっかくの趣味の乗り物はそれぐらいでなくてはならぬ。

これが私のトナカイ趣味というものである。

 

私に対する世間の風当たりは冷たい。

 

乗らないクルマ?

馬鹿だろオマエ

 

まァ・・・・・・賢くはないわナ。

でも、そういう好みなのであるから?

仕方がないだろう。

 

変なことを言うようだが、乗り物に乗るなんて疲れるし面倒臭いだろ?

やることちょっとでとってもお楽しい

そういうのが私は好きだナ。

なので私は乗り物の味には滅法ウルサイ。

 

 

しかし、それにしてもホンダのカブ系50ccはイイ。

こんなに味があるのに壊れる心配もない。

心配がない、というか壊れる部品がそもそもついていない。

そして、壊れたところで部品は格安である。

チャリンコぐらいの速度しか出ないから、エンジンは常に全開。

メイッパイ回すその感じがナカナカ気分がいい。

普通、これだけぶん回したら消耗が気になるはずだが、そんなことを気にする必要すらない。

まったく壊れる気配がない。

おまけに給油は一ヶ月に一回たったの700円である。

これぐらい何も考えずに、脳天気に愉しんでおれる乗り物があるだろうか?

乗る気がせずに延々二週間ぐらいほったらかしでも楽にエンジンがかかる。

乗るも乗らぬも気分次第。

とにかく気楽、走れば普通に楽しい。

 

ま、不満があるとしたら実用上の動力性能の貧弱さ、それだけだ。

長距離移動がシンドイ。

まァ、しかし、ソコはドカがあるので・・・・・・・・。

 

 

あれ?

 

原付=趣味

リッターバイク=実用

 

になってしまってないか?