名古屋市緑区で開催された講演会「信長と家康 それぞれの桶狭間」に行ってきました。桶狭間合戦は戦国好きにとっては永遠のテーマみたいなもので、今回も最新の研究や大河ドラマの裏話などが話されました。
知られざる信長、桶狭間までの半生
歴史ライターの水野誠志郎氏は桶狭間合戦の研究者のひとりでもあり、最新の研究がどうなっているのかなどを解説されました。印象的だったのは以下の3点です。
(1)織田と今川は国力の差がほとんど無かった
桶狭間の戦いは大国・今川が弱小の織田を攻めたというイメージがあります。しかし織田と今川ではそんなに国力の差が無かったことが分かってます。例えば信長の死後、慶長三年(1598)の太閤検地での石高は以下のとおりです。
【今川】
・駿河15万石
・遠江25万石
・三河29万石
合計69万石
【織田】
・尾張57万石
現在のグーグルマップで見ても今川領だった駿河、遠江、三河よりも尾張のほうが平地が多い様な気がします。今川領のほうが石高は高いのですが、織田と大差ではない。だから大国・今川が弱小の織田を攻めたというイメージは実際には違うということ。
(2)松平氏は1度今川に滅ぼされている
松平氏がまだ岩津(岡崎市)を拠点にしていた頃、今川軍に攻められて松平宗家(そうけ:一族のリーダー家)は1度滅亡しています。その後、松平家を再興したのが安城松平・親忠とのこと。
(3)漢字の読み
よく出る漢字の読みも正誤の違いを強調されていました。
【織田弾正忠家】
おだ だんじょうのちゅうけ✕
おだ だんじょうのじょうけ◯
【土田御前(信長の母)】
どたごぜん✕
つちだごぜん◯
どうする家康、出世開運の道
二人目の講演は岡崎市の歴史研究家市橋章男氏。とにかく話が面白いのはyoutubeでもおなじみですが、今回は斬新なネタもチラホラありました。印象的だったのは以下の3点です。
家康に同年、同月、同日生まれの弟がいた
これは歴史の裏の部分なのですが、松平広忠(家康の父)の側室が産んだ男子がいて、それが家康と同年、同月、同日生まれだったとのこと。後に岡崎市の広忠寺の住職となります。
竹千代が幽閉されていたのは熱田ではない
徳川家康が竹千代と呼ばれていた幼少期に織田の人質となっていたのは有名な話。でも竹千代が幽閉されていたのは熱田ではなく、名古屋万松寺天王坊という場所。万松寺は現在でも大須商店街にありますが、戦国時代は別の場所でした。それは現在でも残っていますが、意外な場所だったのです。
竹千代の素行はヒドかった
一般的に知られている竹千代が我慢強く、ひたすら忍耐をもち今川義元のもとで育ったというイメージがあります。しかしこれもマチガイで、かなりワンパクだったとか。竹千代がヤンチャだったエピソードもいくつか紹介されていました。
私の感想
私の講演会「信長と家康 それぞれの桶狭間」の感想ですが、桶狭間合戦の最新の歴史認識や研究結果を聞くことができておもしろかったと思います。これからも語り継がれ、関ヶ原の戦いや長篠設楽原の戦いなどと同じく、人気の合戦なので、また史跡を巡りたくなりますね。
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