中山道加納宿史跡見学会

織田信長ゆかりの岐阜県岐阜市にある加納(かのう)城は、本丸が公園になっており石垣も豪快に残っています。



でも加納城は城下町に中山道(なかせんどう)という街道を取り込んだ城だったので、城下町の一部がそのまま加納宿という宿場になりました。



その加納宿跡は城とセットで巡る事ができるのでオススメです。









中山道加納宿脇本陣跡

かつての加納宿跡は住宅地になっていますが、個人宅前に石碑や看板が建っており、街道ウォークもわかりやすく楽しめます。例えばこれは加納宿の脇本陣跡。



宿場で一番格式が高い宿泊施設が本陣(ほんじん)で、脇本陣はそれに次ぐ宿泊施設でした。









中山道加納宿本陣跡

加納宿本陣には幕末に皇女・和宮 親子内親王(かずのみや ちかこないしんのう)も宿泊されております。その時、自分の心情を詠まれたのが以下の歌。



『遠ざかる都としれば旅衣 一夜の宿も立ちうかりけり』



(訳) 『遠ざかる京都を思えば旅路の一夜の宿もとても落ち着かない』



江戸幕府第14代将軍・徳川家茂(いえもち)との結婚のため、中山道を通行して江戸に向かわれていたのですが、不安な旅だったのでしょう。









中山道加納宿西問屋跡

こちらは西問屋場(といやば)跡。問屋場とは前後の宿場からの荷物を引き継いだり、輸送のための人馬を確保していた場所。簡単にいうと現在の郵便局に近い施設です。

現在荷物の輸送をする場合、例えば東京から京都まで運ぶ時、そのまま現地にトラックで運びます。



でも江戸時代の荷物の輸送は、基本的には次の宿場まで。バケツリレーみたいに宿場経由で目的地に運んでいたのです。その中継所が問屋場です。









中山道加納宿史跡見学会

元和六年(1620)創業の旅籠屋・ニ文字屋。現在ではうなぎが評判の店です。



江戸時代初期に活躍した彫刻師・左甚五郎(ひだりじんごろう:日光東照宮の眠り猫を彫った人)が二文字屋にお世話になった事がありました。



そのお礼に川面を駆ける兎の欄間を掘り、二文字屋に置いて行ったことがありましたが、後日、火事になった時に欄間の川原から水が吹き出して、一瞬のうちに火を消したという逸話があります。



>>二文字屋公式サイト









加納宿まちづくり交流センター内部

中山道加納宿まちづくり交流センター は街道ウォークはもちろん、加納城の資料なども置いてあり、城めぐりや街道歩きの拠点になる施設です。トイレや自販機もありバリアフリー対応なので、ここで休憩もできます。



>>中山道加納宿まちづくり交流センター | 岐阜市公式サイト









中山道の排水溝

私の感想ですが、岐阜市の加納城に行く時は中山道加納宿をセットにすると史跡めぐりの満足度もアップすると思います。所要時間は街道歩きで1時間、城巡りで1時間もあればおおよそ楽しむことができるでしょう。






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