愛知県愛西市(あいさいし)の名鉄勝幡駅(めいてつしょばたえき)前に、またもや戦国ゆかりの人物の銅像が建ちました。
ただでさえ戦国系の銅像・石像が多い愛知県。
今度はどんな人物なのかというと…
↑ なんと大和守家織田ファミリー!
詳しく言うと、織田信秀、土田御前、吉法師(後の織田信長)の三人の銅像です。
実はこの勝幡駅近くには、かつて戦国時代、大和守家織田氏の本拠地・勝幡城があったんです。
今では開発が進み跡形もなくなっていますが、織田信長の生誕地のひとつといわれています。
今回の銅像は、そんな信長ゆかりの地に建てられたものです。
↑ まずは織田信秀。
たぶん銅像は史上初でしょう。
信長の父で、今川義元、斎藤道三と戦いまくった猛将。
後にハヤリ病で亡くなりますが、この人も戦国時代の名将です。
↑ 信長の母・土田御前。
この人の銅像も珍しいですね。
信秀亡き後、家督を継いだ信長のうつけっぷりに愛想を尽かし、弟・信勝(信行)の肩をもったといわれますが、信勝は信長に殺されてしまいます。
その後、彼女の消息もよく分からなくなりますが、ここでは赤ん坊を見守る母。
どことなくもう少し笑顔が欲しいのですが。
↑ そして後に第六天魔王と恐れられ、死後、400年以上経った後にもダントツの人気を誇る戦国武将。
織田信長です。
たぶん赤ん坊信長の銅像も史上初ではないでしょうか。
この頃はまだ吉法師。
両親もまさかこの赤子が日本史を揺るがす人物になることは、この時思ってもみますまい。
いろんな意味で斬新な銅像だと思います。
↑銅像のふもとにある説明版。
信長の生誕地は、ココの他に名古屋城二ノ丸付近にあった那古野城という説もありますが、ココは勝幡城誕生説ということになります。
信長の生年月日も天文三年(1534)5月28日と記載されていますね。
↑また同像を見て満足して帰ってはイケマセン。
銅像の後ろの休憩所をよく見てみると…
↑ こちらには勝幡城のジオラマがあります。
∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
新聞報道などではこのジオラマはあまりピックアップされていませんでしたが、個人的にはこれもかなり気になります。
勝幡城周辺は濃尾平野(のうびへいや)といって、広大な平地が広がっている地域。
なので濃尾平野にあった城は、高低差による防御がほとんどなく、堀、土塁を中心としたものや、近くに流れる川を天然の堀に使用したものが多いんです。
手前に見えるのは家臣団の屋敷でしょうか?
↑ 勝幡城址にある勝幡城復元図。
これも水堀を巧みに利用した城として描かれていますね。
名鉄勝幡駅前にできた新しい新名所。
尾張地方西部の史跡散策に行く時、チェックしたい場所のひとつです。
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