【足助城レポ 13/18】
足助城のふもとには、有名な神社が2つあります。
それが足助八幡宮と足助神社です。
どんな神社かというと?
社殿によると、創建は白鳳二年(673)。
しかし現在の本殿は、分正元年(1446)に再建されました。
それでも古いですよね。
また本殿の造りは珍しく、明治四十年(1907)に国の重要文化財に指定されました。
そして南北朝時代の成立したと思われる、【足助八幡宮縁起】というものがありまして、要訳すると次のようになります。
(1) 天智天皇の時代(626~72)、三河国の大深山(おほみやま)に、猿形、鹿形、鬼形の3つが出現。
(2) 猿形は石船に乗って西へ飛んで猿投大明神となった
(3) 鹿形はその場にとどまり、砥鹿(とが)大菩薩となった
(4) 鬼形は北へ飛んで一晩で霊山を築いてそこに住んだ。
この鬼形が築いた霊山が足助本城ともいわれる、香嵐渓で有名な飯盛山だとか。
なので昔から神聖な山なんですね。
さて、その飯盛山の向いにある足助神社も、参拝者が多いです。
地元でも信仰されています。
また前述した様に、造りも古く、珍しい。
↑ 私は建築学については詳しく分かりません。
でも詳しい人が見ると、『ほお!』と、ナットクして頂けるのではないでしょうか?
本殿の中には入れませんが、横からはその造りを見る事ができます。
↑ また同じ境内には、足助神社もあります。
南北朝時代の武将・足助重範を祀った神社です。
元弘元年(1331)、【元弘の変】の時。
六波羅探題に攻められた後醍醐天皇は、笠置山に移りますが、それを守ったのが足助氏七代目の当主・足助重範(しげのり)。
太平記によると彼は3千余騎で笠置山を守りましたが、対する六波羅勢は十余万。
この時、重範は櫓の上に登り、大音声を上げ、2弓で数百メートル離れた敵将2名を見事に居抜きます。
たぶん伝説っぽい気もしますが、ともあれ弓の名手だったみたいです。
しかし重範の奮戦も虚しく、笠置山は落城してしまい、重範も捕らえられ斬首されてしまいますが、今でも重範は地元の英雄なんですね。
↑ またこの地の地名、『足助』(あすけ)にちなんだ神様もいます。
それが足神様。
足関係の神様なんですね。
ということで見所が多い、足助八幡宮と足助神社。
足助の中心部にある神社なので、ココもかつての町並みとセットでチェックしてみるのもよいかもしれません。
※ 続きを読む → 飯盛山は紅葉で有名!
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