【足助城レポ 8/18】
そしていよいよもうひとつの建物である高櫓に入ります。
天守みたいなものですね。
前回説明したNHKの鉄塔のおかげで位置は少しズレているものの、復元は当時の時代考証を考慮しています。
↑これが高櫓の立面図。
二階建てになっていますね。
高さは27・03m。
↑高櫓の説明。
これによると高櫓内部には、居間、広間、付櫓、2階座敷があった事が分かります。
↑ じつはこの高櫓も中に入れるんですね。
土足禁止なので、クツは脱いで上がりましょう。
お邪魔します!
↑城主の部屋と考えられている居間。
籠城の時には本丸の高櫓内に城主も詰めていたのでしょう。
板張りの中にタタミが敷いてありますね。
なので一段高いです。
↑ きっとこんなカンジで、城兵を指揮していたのですね ^^
城兵 『今川軍が南の丸に迫りました!』
殿 『よし!迎え撃て!』
みたいな。
↑ さて、生活の場には厠(かわや)、つまりトイレも必要ですね。
足助城にもありました。
厠も復元されており、のぞき見はできますが、使用できません。
↑ 高櫓内を見渡すと、細かな演出があります。
武器ですね。
この辺は発掘調査とは別なのでしょうが、当然、武器もあったでしょう。
写真の火縄銃は撃つことはできませんが、戦国の山城に合いますね。
↑ こんなものもありました。
鎗です。
広間で密談をしている時、天井から物音がしてきて、
『クセ者!』
グサっ!
といったことも? ^^;
それは悪代官か…
↑ さて2階座敷へと上がります。
ココにはパネルくらいしか展示品がありません。
建物の空間を楽しむ場所ですね。
そしてもうひとつ。
↑ この高櫓からは周辺を見渡す事ができます。
眼下に見えるのは南の丸の物見台。
その向こうに見えるのは足助の町並み。
足助は戦国時代以前から街道が交わる交通の要所として栄えたところです。
当然、宿場もあったのでしょうね。
今の町並みがほぼ城下町だったのでしょう。
また現在の県道は、かつての街道とほぼ同じに作られています。
矢印は伊那街道だった県道。
信州方面に伸びています。
足助城は武田軍に攻められて無血開城した歴史があります。
ひょっとしたらあの県道(街道)を、武田軍が通って来ていたのがこうやって見えたのかもしれません。
城兵 『殿!武田が迫っております!』
殿 『なにぃ!』
なんて (=⌒▽⌒=)
こんなカンジで、足助城の高櫓も当時の雰囲気を十分に楽しむ事ができます。
近世城郭みたいな白壁ではなく、金のシャチホコもありません。
なので単なる2階建ての櫓としても見る事ができますが、しかし足助城は敵に多く攻められた歴史があります。
モチロン、その際には天守にあった高櫓で、いろんなドラマがあったのでしょう。
(友情出演 ハマン治部殿)
☆ メルマガ登録はコチラ !
☆ 城・史跡レポをまとめてみました!
☆ 甲冑出陣レポ
☆ この書籍を斬る!
☆ 愛知のグルメ
☆ 愛知おススメのおみやげ
☆ プロフィール