【岐阜城レポ 29/30】
岐阜城とセットにしたい崇福寺(そうふくじ)。
このお寺も見どころがたくさんあります。
まずは信長親子の墓から始まり、戦国ファンを萌えさせる見どころをチェックしてみましょう。
■崇福寺の場所の住所■
岐阜市長良福光2403−1
↑その前に、参拝者駐車場。
こういった駐車場があるとクルマでも助かりますね。
よくみるとバスにも対応しています。
駐車料金は無料(参拝者のみ)
↑崇福寺の詳細。
入場料が必要なんです。
オトナで¥200かかりますが、ハッキリいって¥200以上の価値があるお寺です。
崇福寺の創建は文明元年(1469)。
戦国時代の始まりともいわれる応仁の乱の二年後ですね。
開祖は当時の美濃国守護代・斎藤長弘。
かなり古いお寺ですね。
現在では、庭園も整備されています。
↑ まずは外回りから。
稲葉一鉄寄進の梵鐘。
稲葉一鉄は西美濃三人衆のひとりに数えられた豪族。
(あとのふたりは、氏家卜全、安藤守就)
稲葉山城の斎藤氏に使えましたが、信長に帰属。
後に秀吉にも仕えました。
ところでこの梵鐘ですが、どうやら現在のものは一鉄寄進のものではないらしい。
元和元年(1615)に改鋳され、太平洋戦争でも没収。
戦後に再々製されたものです。
ということは、
まったく違うぢゃないか~
というツッコミはさておき、ココに一鉄寄贈の梵鐘があったということですね。
↑ 信長と信忠の墓。
正確にいうと供養塔になるのでしょうか。
信忠とは信長の息子。
信忠の息子が秀信(三法師)です。
案内看板に詳しい事が記載されています。
↑ そしていよいよ本堂ですが、なんと岐阜城の血天井があります。
血天井というと伏見城のものが有名ですが、崇福寺にもあります。
関ケ原合戦の前哨戦として、岐阜城が攻め落とされましたが、その時の床を供養のために崇福寺本堂の一部の天井としています。
残念ながら撮影禁止なので画像はココまで。
ですが、血天井を見てみると…
スゴイ ! ( ̄Д ̄;;
篭手?かな?
クサリの部分とかがシミになって今でもクッキリ残っています。
複数あるので複数人数なのでしょう。
でもこれって、供養になるんでしょうか?
というギモンはさておき、落城という凄惨な痕跡が生々しく残る血天井。
これが戦国か~
というインパクトを受けましたね。
ゲームとかでは、敵兵が斬られると、緑色のキラキラしたものが『ピュ!』っと出て、死体は勝手に消えてくれるので助かりますが、現実はそうではありません。
あえて武将の華々しい活躍ぶりだけを見て、『歴史ファンですぅ~』と言っている人も少なくないですが、これも戦国ということで紹介してみました。
どんな血天井なのか?
あなたも自分の目で是非、確認してみましょう。
※ 続きを読む → 円徳寺 (織田秀信が剃髪した寺)
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