【岐阜城レポ 30/30】
さて、岐阜城を堪能した後は、周辺の寺社もチェックします。
城だけではなく、こういった寺社にも戦国関連の愉しみがあからです。
写真は円徳寺 (えんとくじ)。
ココは電車で岐阜城へ行く場合、城より先にチェックしてもよいと思います。
さて、円徳寺の創建は、永寿二年(1183)。
そこから戦国時代に続くワケですが、どんなゆかりがあるのかといいますと…
・天文十六年(1547)、信長の父・信秀と斎藤氏が合戦した時の戦死者を祀る織田塚がある。
・永禄七年(1564)、稲葉山城を落とした信長が、円徳寺に寺領を寄進。その門前に楽市楽座を開く。
・慶長五年(1600)、関ケ原合戦の前哨戦で岐阜城が落城。城主・織田秀信が剃髪したのが円徳寺。
という、ドコかで聞いたことがあるハナシばかりです。
これだけのネタがあるなら、歴史ファンは要チェックですぞ!
↑ 門前にある花押(かおう)パネル。
花押とは、戦国武将独自のサイン。
ココからすでに萌えますな。
↑さらに門前には、楽市童子楽座童子の像が。
これはいろんな雑誌でみる像ですね。
ココにあったのか。
ムシロを敷いた程度のショップですが、こういったのがズラっと並んで賑わっていたのでしょうね。
↑ さて、境内に入ってみます。
よく見ると少ないですが参拝者用の駐車場がありますね。
こういった配慮はウレシイです。
↑ これが織田塚。
信長以前、父の代の戦死者を埋葬したものです。
信長の父・信秀も斎藤氏とあまり仲がよくなかったらしく、結構戦っています。
信長公記によると、大垣城辺まで攻め入っていたみたいです。
塚はもともとはこの場所に建っていたワケではなく移転したものとか。
ところでこの円徳寺は、信長の孫・秀信が剃髪した寺でもありますが…
信長の父は信秀。
名前が似ているので、間違えないようにしましょう。
・信長の父 = 信秀
・信長の孫 = 秀信
↑ 信長が寄進したという梵鐘。
岐阜市の重要文化財に指定してありますが、一般人も目にできます。
打つ事もできそうですが、この円徳寺は岐阜駅前アーケードの近く。
周辺にはビル、民家も多いです。
打ちたいキモチは分かりますが、メイワクになるのでヤメましょう。
↑ 梵鐘を見ると、小さな文字が刻んでありますね。
梵鐘というと、『国家安康…』を思い出しますが、これにはなんと刻まれているのでしょうか?
ということで、見どころが多い円徳寺でした。
※ 観光旅行で巡る岐阜城の見どころをまとめてみました⇒ 岐阜城まとめ
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