【岐阜城レポ 19/30】
リス村を通り越すと、いよいよ岐阜城のディープな遺構が待っています。
まずはこの天下第一の門。
ここから入っていきます。
織田信長は稲葉山城を落とし、岐阜城と改名し、【天下布武】の朱印を用い、岐阜城が天下統一へ踏み出す城となりました。
その偉業をたたえる意味で、冠木門が建てられたそうです。
↑ 進んでいくとさらに門跡があります。
写真は上格子門 (あげこうしもん)跡。
両側が岩になっており、左手には櫓もあったとか。
関ケ原合戦の前哨戦の時、城兵と福島正則隊が激しく戦った場所でもあります。
↑ 馬場跡。
細長い削平地です。
馬場とは乗馬の訓練を行なった場所という意味ですが、当時、あの登山道を馬に登らせた?
一説によると、【矢場】であるとも言うそうですが、うん、矢場だと思う。
↑ そして二の丸。
本丸の手前にある削平地ですね。
どんどん本丸に近づいていきます。
↑ 二の丸にある題目塚 (だいもくづか)。
岐阜城は、斎藤道三以来、織田信長が攻め、関ケ原合戦の前哨戦でも落城しています。
ということで多数の戦死者を出した城でもあるのです。
その戦死者の供養のために建立された塚ですが、いつの間にか悪魔退散と幸福を得る塚として信仰されているのだとか。
華々しい戦国の影には、こういった犠牲者、戦死者がいたことも忘れてはイケマセン。
こういった供養も大事ですね。
ということで岐阜城にはいろんな遺構、歴史を感じるものがありますが、これらはホンの一部。
まだまだ続きますぞ!
※ 続きを読む → 岐阜城の井戸はワケアリでした。
☆ メルマガ登録はコチラ !
☆ 城・史跡レポをまとめてみました!
☆ 甲冑出陣レポ
☆ この書籍を斬る!
☆ 愛知のグルメ
☆ 愛知おススメのおみやげ
☆ プロフィール