あの戦国の現場へ行こう!-岩崎城攻め



あの戦国の現場へ行こう!-長久手合戦


【豊臣秀吉ガイドブックを攻略せよ! 天下分け目・長久手戦 コース】 





小牧・長久手合戦は、秀吉が楽田。



織田・徳川連合軍が小牧山に本陣を置き、膠着状態となってしまいました。



というより、動くに動けなかったんですね。



こういった、大軍同士の戦では、先に動いたほうが負けるといわれていました。



なので、戦上手の秀吉、家康は動かなかったのです。








あの戦国の現場へ行こう!-池田恒興画像



しかし!



秀吉軍の池田恒興が、家康の領地・岡崎を急襲することを提案。



これを専門用語で、【三河中入】 (みかわなかいり)といいます。



膠着状態で、シビレを切らしていたのでしょうか?



それとも、白山林で徳川軍に敗北した、娘婿の森長可に何らかの手柄を立てさせてやりたかったのでしょうか?



ともあれ、恒興は強く秀吉に提案。



でも秀吉はこれを拒否します。






あの戦国の現場へ行こう!-三河中入



なぜなら、こういった作戦は、ありえないくらいに迅速でなくてはならない。



しかも相手は家康。



気付かないはずはない。



でも、



恒興は強く、強く、提案します。



このときの秀吉と恒興の関係は、【主従】ではないんですね。



盟友といった横並びに近い関係。



なので、あまりムゲに断ると、



『もしかして、徳川に走るかも…』 ( ̄ー ̄;



みたいな不安があったのでしょう。



なので、



『とにかく岡崎城へ急ぎ、焼き払って、とっとと帰ってくるコト!』



と、念を押したのです。



これが三河中入の条件だったのです。



そして、岡崎城へ向かう別働隊を編成。



その内容は、



第一隊 池田恒興 (これが先鋒)



第二隊 森長可



第三隊 堀秀政



第四隊 三好秀次 (後の豊臣秀次、このとき一応総大将)



総勢、2万近い軍勢でした。



奇襲をするのに、多くない?



と思うほどの軍勢。



ともあれ、小牧山から出発です!





あの戦国の現場へ行こう!-大留城碑


あの戦国の現場へ行こう!-上条城高台




しかし池田恒興らは、迅速第一のはずの奇襲隊のハズなのに、結構ゆっくりしていました。



大留城、上条城、(もとに現在の春日井市)とかでゆっくりしている。



そして、この時、地元住民が、ムリヤリ恒興たちに協力する様、威圧されていました。



その反動で、小牧山の家康の元へ、この岡崎奇襲隊の動きが密告されてしまいます。










あの戦国の現場へ行こう!-岩崎城急襲


あの戦国の現場へ行こう!-岩崎城天守



そして恒興たちは、岡崎城へ向かう途中、家康方の岩崎城を横切りました。



その時!



岩崎城を守っていた、丹羽氏重は池田恒興たちの行軍を知りました。



この時、岩崎城兵は約3百。



敵を素通りさせてなるものかと、池田恒興、森長可の軍勢約7千(諸説あり)に攻撃を仕掛けます。



3百と7千の戦いです。





あの戦国の現場へ行こう!



↑ この時、岩崎城を守っていた丹羽氏重は、栗毛の馬にまたがり奮戦したといいます。



でも、兵数の差は歴然。



岩崎城兵はひとりをのぞき、全員討死してしまいました (ノ_-。)





あの戦国の現場へ行こう!-池田恒興画像


そして池田恒興は、岩崎城の近くにある六坊山で首実検を兼ねた休憩を取ります。



この岩崎城攻めが早朝であり、夜通しの行軍のため、休息が必要だったのですね。



この時、後ろにいた第三隊・堀秀政、第四隊・三好秀次は前が進まないので進めません。








三好秀次 『なんで進まないの?』



堀秀政 『池田さんたちが城を攻め落として休憩してるんだって』



三好秀次 『あ、そう…じゃオレたちも朝食にしようか』



旧暦五月。



初夏のキモチよい朝。



岡崎城奇襲隊は行軍を忘れて、朝食を取っていました。



でも?



なにか忘れていませんか?



秀吉は、



『とにかく岡崎城へ急ぎ、焼き払って、とっとと帰ってくるコト!』



と言っていた。



でも夜通し行軍していた奇襲隊はのどかに朝食。



しかしその時すでに、



行軍の最終尾にいた総大将・三好秀次の背後には…








あの戦国の現場へ行こう!-徳川参上!



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