【豊臣秀吉ガイドブックを攻略せよ】 (日吉丸コース)
ツケモノの神様・萱津神社の近くに、萱津古戦場の碑があります。
これは信長の合戦なんですね。
どんな合戦かというと…
信長と清洲(清須)織田氏の戦いです。
ここで混乱する方もいると思います。
『信長は清須城が生まれついての本城じゃないの?』
と、思われる方もいるとおもいますが違います。
『いや、そんな事ないぞ!信●の野望は、清洲城からはじまるじゃないか!』
あれはゲームの話で…
実際には、家督相続したとき、信長は那古野城(現在の名古屋城二ノ丸)に居城していました。
信長公記によると、信長が家督を継いで間もない天文二一年(1551)。
この頃、清洲城(清須城)には別の織田氏がいました。
これが清洲織田氏。
しかも父・信秀の代からあまり仲良くなかったんです。
ある日、この清洲織田氏が、信長の支城である松葉城と深田城(ともに大治町)を攻めて、信長に敵対します。
信長は清洲織田氏を討つべく、居城・那古野城を出陣。
この時、守山城の信光おじさんが加勢にきてくれました。
これに対し、清洲城からも出陣してきます。
両者は旧甚目寺町で衝突!
激戦の末、清洲勢は敗退しました。
これが萱津合戦です。
かつての激戦地も、今ではこんなカンジでのどかな風景が広がっています。
この萱津合戦の9年後、信長は清洲城から桶狭間に向かって出陣します。
しかしそれまでの間、様々な戦が起こり、信長も尾張中を駆け回っていたんですね。
この萱津合戦は、あまり世に知られていない合戦です。
でもこうしたマイナーな合戦に触れることも、また歴史の楽しみでもありますね。
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