【近江路・歴女ブロガー旅紀行 その38】
出世の城として名高い長浜城。
秀吉や山内一豊といった戦国武将の出世の足がかりとなった城ですね。
天正元年(1573)、秀吉が浅井長政攻めの戦功により、当時【今浜】という名だったこの地を
信長より拝領しました。
秀吉初めての築城となる地。
思い入れもかなりのものがあったのでしょうね。
信長の【長】の一字をもらい、今浜を【長浜】と改名したのです。
長浜城は小谷城の木材・資材を使って築城されました。
本能寺の変後は柴田勝家の甥・柴田勝豊が入城しますが、アッサリと秀吉のもに。
その後、山内一豊、内藤信成が入城しますが、元和元年(1615)に廃城となり、ほとんどの資材は
彦根に移されたそうです。
しかし門は大通寺や知善院といったお寺に移され、現在でも拝観する事ができます。
現在の長浜城は豊公園という城址公園になっています。
↑ まず駐車場。
広い!しかも無料!
駐車料金気にせずに史跡散策できますね。
↑ 城内はこんな感じです。
すぐ側まで琵琶湖が迫ってきているので、琵琶湖とセットみたいなお城です。
実際に戦国時代は琵琶湖の水を城内に引き入れ、琵琶湖を使って移動や物資の運搬を盛んに行なって
いました。
↑ そんな琵琶湖間際にある太閤井。
井戸ですね。
石組みが残っています。
時間によっては、水で沈んでしまう事もあるのだとか。
琵琶湖も潮の満ち干があるのですね。
でもここに当時の井戸址があるということは、実際には琵琶湖はもっと向こうだったという事です。
なので戦国時代にくらべ、琵琶湖が陸側に迫っているという事ですね。
↑ 城内を散策していたら見つけた石碑。
この辺から石垣が出たのでしょう。
現在は石碑と案内板だけですが、それだけでも石垣群が想像でき楽しめますね。
↑ そしてこんな石碑も!
本丸跡ですね。
中央の大きな石が意味ありげでしたが、詳細わからず (ノ_-。)
そしていよいよ本丸です。
『あれ?■■丸とか、▲▲櫓とかないの?』
当時はあったかもしれませんが、現在は残っていません。
公園と天守がメインです。
現在の天守はコンクリ-ト造りで、場所もこの地あったワケではないので模擬天守。
中は資料館になっています。
撮影禁止になっていたので写真は取れませんでしたが、なかなか見応えがあるものでした。
↑天守は模擬でも、石垣は圧巻です。
石を加工せずそのまま使用した野面積みですが、角は加工してありますね。
これらも再現された石垣なのでしょうか?
↑ 資料館となっている天守では、来年に向けて通常展示のほか、様々な催し物が行なわれるとの事。
一度に見たいものばかりですが、これなら再び来たくなりますね。
資料館の詳細です。
【入館時間】 午前9時~午後4時30分 (閉館 午後5時)
【休館日】 12月27日~1月2日 ※展示替えのため臨時休業あり
【料金】
(個人)一般 ¥400 小中学生 ¥200
(団体) 一般¥320 小中学生 ¥160
※ 団体は20名以上
詳しくはコチラ → 長浜城歴史博物館
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