【近江路・歴女ブロガー旅紀行 その9】
記事が前後しますが、今回は彦根城の二つの重要文化財をレポします。
そのひとつ、佐和山口多門櫓(さわやまぐち たもんやぐら)。
これはいつでも公開しているというワケではなく、たまたま公開していました。
↑さっとく中へGO!
ちなみに多門櫓は、大和(現・奈良県)の戦国武将・松永久秀が、自分の居城・多門城に
初めて築いた当時新しいタイプの櫓という事で、この名前がついたとか。
ちなみに彦根城のこの佐和山口多門櫓は重要文化財。
↑ 私は建築法とかよく分かりませんが、木材・土壁の重厚な雰囲気が伝わってきました。
この佐和山口多門櫓は元和八年(1622)に完成したそうですが、それから約140年後の
明和四年(1767)に火災で焼失したそうです。
なので現在の佐和山口多門櫓は明和六~八年(1769~71)にかけて再建された建物だと
伝わります。
↑ 天井をみるとこんなカンジです。
木材むき出し!
荒々しいカンジですが、当時はこういう作りだったのですね。
↑ 櫓の窓から堀を望んでみました。
堀の向こうには、井伊直弼が若いときに過ごした埋木舎(うもれぎしゃ)が見えます。
↑ そしてもうひとつの重要文化財は、西ノ丸三重櫓。
この西ノ丸三重櫓、じつは、
小谷城の天守をこの地に移したもの
という事です! Σ(~∀~||;)
あの山城にこんな天守があったのか?
さっそく内部へGO!
↑ コチラも内部は木材と土壁。
余分な展示品はなく、構造そのものを楽しむ事ができます。
↑ 木材に使われている釘。
形を見ても最近のクギと形が違いますね。
↑ 二階にも上がれます。
しかし階段はほとんど斜め45°
この急な階段は現在の建物には無いセンスですね。
もし敵が侵入した場合、易々と登らせないための傾斜でしょうか?
ところでこの西ノ丸三重櫓ですが、どう考えても山城である小谷城にあったとは思えません。
実際、小谷城の本丸に行ってみると、そこそこの広さはありますが、ホントにこの建物があったのか?
疑問が残ります。
なのでこれは私なりの考えですが、
小谷城の本丸にあった建物の木材の一部が使われている
のではないでしょうか?
それが尾びれ背びれ付いて、『本丸にあった建物』という風に伝承されたのでは?
と思ってしまいます。
ともあれ、小谷城にゆかりのある建物にはマチガイなさそうです。
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