【岩崎城レポ 2/7】
現在では城址公園として整備されている岩崎城。
批判的な模擬天守もありますが、作りすぎず壊しすぎず、程よく遺構も残っています。
↑まずは駐車場。
電車、バスではなかなか不便なところにありますので、車を使うのは有効な手段です。
駐車料金無料なのがウレシイですね。
↑ そして二の丸。
現在は庭園として整備されています。
本曲輪と土橋で繋がれた防御施設で、土塁もうっすら残っているんです。
↑ かつて櫓があった櫓台には、【表忠義碑】という石碑が建っています。
これは30倍もの敵に勇猛に立ち向かった岩崎城兵の功績を称えたものです。
↑ 当時の空堀。
戦から400年以上経っていますので、だいぶ埋もれてしまったと思われますが、現在でもこれだけ残っています。
記録によると、岩崎城はぐるりと包囲され、南側からも攻められていますので、この堀で激しい
攻防があったのでしょうね。
現在ではひっそりとしていますが、城内で一番萌える現場でしょうか。
ちなみにココは入る事ができます。
↑ 篭城に際して井戸は貴重な水資源。
空堀の上にも井戸がありました。
現在では枯れていますが、この井戸が無くては戦はできません。
未だにこれだけ残っているとはスバラシイ!
↑ そして本曲輪にも井戸跡があります。
コチラは復元整備されていますね。
↑ 現在庭園となっている二の丸と本丸(本曲輪)を結ぶ土橋。
土橋(どばし)と読みます。
いくら二の丸を突破されてもスンナリ本丸へは行かせません。
ここで細くなって進軍するワケですが、そころ前方から狙い打たれます。
左右は堀なので落ちると這い上がるのに苦労します。
↑ そしていよいよ本丸(本曲輪)。
古城の碑があります。
この碑付近が御座の間の跡(殿様のいた場所)と語り継がれています。
広い本丸の中でもこの付近に城主がいた建物があったのでしょう。
↑ 本丸に復元された古墳。
これは発掘調査時に偶然出てきた古墳との事。
なので岩崎城は意識して古墳の上に築かれたお城ではありません。
小刀・土師器の壷・須恵器の杯などが出土しました。
詳しい事は資料館の中で解説してあります。
↑ 隅櫓跡。
岩崎城の東南部を守る隅櫓があった場所です。
礎石も出てきており、現在復元保存されています。
↑ そして忘れてはイケナイのがこの模擬天守。
岩崎城にこの様な天守はなく、後世のもの。
しかも建てられたのが今では神話になりつつあるバブル経済の時。
お金がたくさんあった時代ですね。
なのでよく考えてみれば、これも【バブル期の歴史的遺物】としてみる事ができます。
岩崎城は戦国期、バブル期の遺構をよく残したお城なのです。
ちなみに中は資料館となっています。
こんなカンジで岩崎城にはディープな見所がたくさん残っています。
※続きを読む → 岩崎城資料館
☆ メルマガ登録はコチラ !
☆ 城・史跡レポをまとめてみました
☆ 甲冑出陣レポ
☆ この書籍を斬る!
☆ 愛知のグルメ
☆ 愛知おススメのおみやげ
☆ プロフィール