【小牧山城レポ 8/8】
信長の伝記・『信長公記』に小牧山移転のおもしろいエピソードがあります。
これによると、小牧山に本城を移転させる時、信長はまず、家臣たち数名と『二ノ宮山』に登りました。
そこで信長は、
『この山に築城するから皆、ココに家を移せ!』
と命令。
さらには、『あそこの峰には●●の屋敷、コチラには●●の屋敷』と、屋敷地の割り振りも言い出しました。
二ノ宮山とは、現在の愛知県犬山市楽田地区二ノ宮の本宮山の事といわれております。
標高は約293m。
まっ平な濃尾平野で生きてきた織田家臣団にとってはトンデモナイ難所です。
そんな山中に引っ越す事になった織田家中では不満ブーブー (#`ε´#)
それから数日後。
信長はイキナリ『やっぱり小牧山に移ろう』と言い出しました。
小牧山も確かに山ですが、標高は約86m。
二ノ宮山の三分の一以下です。
しかも小牧山は麓まで川が流れており、家財を運ぶのに船が使え便利です。
皆、わぁっと喜んで移転しました。 ヾ(@°▽°@)ノ
もし信長が最初から小牧山へ移転すると言っていたなら、二ノ宮山と同じく家臣は不満だったでしょう。
なので最初に難所の二ノ宮山に引っ越すと言って家臣の不満を出し、ならばということで小牧山に移転したのですね。
ちなみにこのときのエピソードを、信長公記の著者・太田牛一は、
『信長の優れた計略』
と言っています。
こんな感じで信長研究の第一級資料・信長公記にはおもしろい話が載っています。
しかし、こんなことを言うと
『信長公記って古文書だろ?よくそんなの読めるよな』
という意見がありますが、大丈夫です。
私も古文書読めませんから (←オイ!)
ではどうして信長公記を読めるかというと、現代語訳の本を活用しているからです。
- 現代語訳 信長公記〈上〉/太田 牛一
- ¥2,940
- Amazon.co.jp
↑ これですね。
上巻と下巻があり、上巻は信長が生まれてから天正三年十一月に信忠に家督を譲るまで。
下巻はそれから本能寺までです。
信長の知られざるエピソードや世間で一般常識的に言われているアノ事が書かれていないなど、ある意味衝撃が大きい本です。
小説を読む感覚でスラスラ読めます。
特に、村木砦の戦い、桶狭間合戦、長篠合戦、武田家壊滅戦は、是非読んで現場へ行ってほしい。
マニアのための一冊です。
※ 続きを読む → 小牧山城レポをまとめてみました