【徳川家康ガイドブックを攻略せよ!】 (家康の生誕地・岡崎コース)
西光寺の残り二つのエピソードとは?
徳川氏の前身・松平氏は、急速に勢力を拡大させてしまい、周辺豪族の反発に遭いました。
この松平包囲網の中、松平氏と周辺豪族連合軍の決戦が井田野(現在の岡崎市井田町周辺)で
行われ松平氏が勝利!
両軍多数の戦死者を出し、千人塚を築き、戦死者の供養を行いました。
しかし、それから数年後…
夜になると千人塚周辺から、軍馬のいななき、刀や槍の打ち合う音、人のうめき声が聞こえる様になりました。
さらには疫病も流行!
井田野合戦に勝利した四代松平当主・親忠は、これは戦死者供養が疎かになっていると考え、千人塚の
ふもとに寺を建立しました。
↑これが大樹寺です。
なので現在徳川氏の菩提寺として知られている大樹寺ですが、もともとは井田野合戦の戦死者供養の
ために築かれたお寺だったんですね。
この大樹寺創建の理由がひとつめのエピソード。
それから約90年後、桶狭間合戦で今川義元が討ち死にし、松平元康(徳川家康)は、大樹寺に
逃げ込みました。
しかし織田軍の追手が大樹寺を包囲。
松平元康を討ち取ろうとしますが、この時大樹寺の僧兵たちが元康を守りました。
見事織田軍を撃退したのですが、多くの僧兵が戦死してしまいました。
その僧兵を葬ったのが、西光寺の【大衆塚】です。
桶狭間合戦後、家康は城代がいなくなった岡崎城に入り、見事今川氏から独立!
となるまでには、この大樹寺の僧兵たちの命がけの働きが影にあったんですね。
あまり知られていないエピソードですが、これも家康を語る上で大事な話だと思います。
これだけのあまり世に知られていないエピソードが満載の西光寺は、隠れた戦国スポットといえるでしょう。
※続きを読む⇒ 徳川家の菩提寺・大樹寺
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