【岡崎城レポ その13】
岡崎名物【八丁味噌】をカクキューと並んで作り続ける【まるや八丁味噌】。
この八丁味噌は登録商標です。
岡崎城から八丁(約900メートル)のところにあった八丁村で作り始めたのが由来です。
岡崎城散策とセットで行けるオイシイお勉強ですね。
↑ ここも工場見学ができます。
個人の場合は事前予約が不要で、1時間の2回、毎正時・30分にツアーが出発します。
↑ 工場内に入ると、八丁味噌の作り方が展示してありました。
いつも食べている赤味噌はかなりフクザツな工程でできている事がわかります。
完成までに二夏、二冬(約三年)かかりますので根気の必要な作業ですよね。
米・塩・水のみで作る八丁味噌は最近海外からも人気があります。
肉を食べない宗教の方々やベジタリアンの方からも問い合わせがあるくらいです。
巨大な桶に味噌を仕込み、その上に石を積んで熟成させます。
この石積みの技法は【穴太積み】(あのうづみ)というもので、お城の石垣を積む技術と取り入れているそうです。
かつての阪神淡路大震災の時、東海地方も揺れましたが、その時もこの石積みは崩れなかったとか。
この石積みの技術をマスターするには10年以上かかるといわれ、現在まるや八丁味噌にもベテラン職人さんはひとりだけとか。
↑ 工場隣には売店もあります。
八丁味噌を使った商品がズラリ!
ここでしか買えない商品や、通販で買うと送料がかかりますので、まとめ買いしておきたいですね。
↑ 工場の隣を旧東海道が通っています。
じつはこのまるや八丁味噌のすぐ近くに、以前紹介した宮崎あおいさんの手形もあるんです。
↑ そしてココにも秀吉伝説がありました。
これは【日吉丸石投げ井戸】
しかしココはカクキューとはちがうオハナシです。
秀吉がまだ子供の頃。
腹を空かせてこの辺りを通りかかると、味噌のよい香りがしてきました。
日吉丸は悪いと思いながらも、このまるやに忍び込み、おひつのご飯を味噌の香りをおかずに食べました。
しかし職人達に見付かり秀吉は逃げ出します。
その時この井戸に石を投げ込み、井戸に落ちた様に思わせました。
じつはこれを開祖・弥冶右衛門が見ていましたが、弥冶右衛門は知らんぷり。
職人達は大慌てで井戸の中を覗き込み、日吉丸はそのスキに逃げる事に成功しました。
後に太閤となった秀吉は、弥冶右衛門に心から感謝したそうです。
開祖・弥冶右衛門が活躍した時代と秀吉の時代は違うので、やはり伝説なのかもしれません。
しかしこの話に矢作川は出てこず、秀吉は若い時、遠江のほうへ仕官していたという説もあります。
【弥冶右衛門】も世襲制なら、戦国時代にも棟梁は弥冶右衛門さん。
なのでひょっとして…
※続きを読む → 岡崎城の資料館