【安祥城レポ 4/10】
知る人ぞ知る安祥城。
なので知らない人はまったく知らない安祥城。
ここはディープなお城ですよ。
なにがどうディープなのか?
とりあえずこういうエピソードが残る城です。
・松平氏が岩津城の次に本拠を構えた城
・前田利家正室・『まつ』の父親が戦死した場所と伝わる。(安祥合戦)
・織田信長の父・織田信秀が攻め落とした城。
・信長の兄・信広が城主を務めたが、今川方に攻められて捕まった城。
(※その後、信広は竹千代と人質交換された。)
これだけでもディープ!
萌えてください。
↑ さて、そんな安祥城。
縄張は極めてシンプル。
本丸を中心とし、三方に曲輪を配置したというもの。
ただ、この縄張図を見て分かるとおり、湿地帯に囲まれています。
これが堅固さの理由のひとつなのでしょうね。
↑そしてこれが現在の安祥城。
チト見にくいですが、
・本丸が大乗寺というお寺。
・かつての二の丸が八幡社という神社。この八幡社は上の縄張図にも記載されていますよね。
・そして三の丸は安城市歴史博物館。
これだけで半日遊べます。
↑本丸だった場所は大乗寺というお寺になっています。
やはり周囲より高く見渡せる地形になっております。
↑ この八幡社を含む一帯が二の丸でした。
ココも本丸と同じくらいの高台。周囲を一望できます。
↑ そして三の丸は安城市歴史博物館となってます。
モチロン展示物も豊富。城址と資料館のセットで楽しみましょう!
↑ この住宅地の入り口写真はなんなのか?
これはかつての虎口跡。
虎口とは兵の出撃する場所、つまり城の出入り口ですね。
写真は城内から外を見る形になっています。
古地図から位置を割り出すとココに虎口があった事が分かります。
↑ そして意味深なこの高台!
そう、櫓台跡ですね。
城域でも先端にあり、ココにあった櫓から物見、攻めてくる敵の防衛が可能でした。
こんな感じで中世の城の雰囲気はバツグンに残っております。
土の城なので華々しい天守はありませんでしたが、濃厚な合戦の歴史が安祥城には残っています。
※ 続きを読む → 安城市歴史博物館
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