永禄三年(1560)五月十六日。
義元公の今川本隊は岡崎城を出立、次なる拠点・【池鯉鮒】 (ちりゅう)に陣を進めます。
そして陣を張ったのが、
知立城です。
ところでかつての池鯉鮒は現在の知立市。
池鯉鮒 も 知立 も (ちりゅう)と読みます。
江戸時代には東海道の三十九番目の宿場が置かれ、たいそう賑わったとか。
現在では開発が進み、住宅地となってしまいましたが、当時を想わせる町割りの雰囲気は残っています。
そして町の所々には、街道跡が【カギ】状になって残っている所もあるんですね。
上の写真がその【カギ】状の街道跡。
碁盤の目の様に規則正しく揃えてあるのではなく、あえてカクカクに道を通して死角を作ります。
というのも、この宿場にも参勤交代で大名が泊る【本陣】や、知立城址は江戸時代、将軍上洛様の
御殿になっていたこともあり、防衛面でもこうした道の作りになったのだそうです。
そして、知立名物といえば、
【大あんまき】ですね。(‐^▽^‐)
明冶用水が出来るまでの知立は、畑が多くあり、麦が盛んに作られていました。
そこで収穫される小麦で皮を作り、甘さ控えめの【あん】を巻いた名物です。
現在有名なのは藤田屋と小松屋。
藤田屋の大あんまきは種類が豊富!チーズ、カスタード、変り種のてんぷらあんまきがあります。
そして小松屋は藤田屋よりも古い、元祖・大あんまきで有名です。
種類は多くありませんが、王道の黒あん・白あんをメインに、昔ながらの味を守っています。
あんといっても甘さ控えめなのでクドクなく、平気で一本ぺロリと食べてしまいます。
知立三城、知立宿、大あんまきと、ココも岡崎同様に、見る・聞く・食べるの歴史が待っている【現場】です。
しかし義元公が活躍した時代に、大あんまきはありませんでしたが… (・・;)
ところでこれより西は、尾張国境が近いので、義元公の進軍も一歩ずつ確実になっていきます。
先鋒隊はすでに大高城近くまでいっているとか。
決戦の時が迫っていました。
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