silkymilk、今までにも何度かコトバの本質というものについて、お話をしたことがあります。 ( ̄▽ ̄)
文法的なこともそうですが、敬語の本質について、お話ししたこともあった。
そのことを改めて思い起こす、昨日、今日・・・ ( ̄― ̄;
( ̄― ̄; ( ̄― ̄; ( ̄― ̄; ( ̄― ̄; ( ̄― ̄; ( ̄― ̄;
最近、コトバの乱れみたいなのがよく言われ、silkymilk もいちいち気になっちゃったりして・・・
街中でそういう乱れたコトバに出くわすと、ココロの中でちょっと突っ込んでみたり・・・ f( ̄― ̄;
かく言う silkymilk だって、完璧なコトバなんて使えてません。 f(―_―。
言い訳する訳ではありませんが、完璧な文法を駆使して話せる人って、そうはいないんじゃないでしょうか。
語彙にしても、そう。
ひとつの単語に対する解釈は、人によって少しづつずれてたりする。
それでももちろん、コトバは、できるだけ正確に使うに限る。
なぜなら、コトバというものは、その人の意志を伝える手段だから。 ( ̄― ̄;
その 『手段』 が、 「ひとりひとり全て違う解釈で~す」 っていうのでは困るから・・・
やっぱり、世の中で 『正当』 と言われている用法で使うに限る。
・・・それ以上に、silkymilk、コトバに関してはある 『思い』 があります。
何度も推敲を繰り返し、語彙を選び、表現に細心の注意を払って書かれた文でさえ、やっぱりそこにはその文を発した人の意志が入っているはず。
上にリンクを貼った、昨年の記事でも少し触れましたが、どんなに頑張っても、伝える相手に対する敬意の有無を始め、発信者の本心というものは、どうしてもその文章やコトバに表われてしまうのではないでしょうか。
だからこそ、コトバは面白い。 p( ̄ー ̄;
語彙の歴史を見ていくと、その国の人たちの考え方の裏側が読み取れたりする。
とある人の発言に、その人の本心が隠れているのを見つけられたりする。 b( ̄○ ̄)
b( ̄○ ̄) b( ̄○ ̄) b( ̄○ ̄) b( ̄○ ̄) b( ̄○ ̄) b( ̄○ ̄)
今まで、様々な人・・・ 主に政治家なんかがその発言をマスコミに指摘され、それが原因で失脚した人もいました。
その殆どが、こう 『言い訳』 しました。
「そういうことを言いたかったんじゃない、私が言いたかったのは・・・」
・・・・・・。 ( ̄ー ̄;ゞ
silkymilk のコトバに対する考えのひとつには、『受け手主義』 というのもあります。
・・・『受け手主義』 っていうコトバ自体、正しいものかどうかわかりませんが・・・ f( ̄▽ ̄;
つまり、コトバが発されたとき、特にそれが公共の場で発表されるものであったとき、それは受け手の解釈に頼るものと化する、ということです。
つまり、言った方がどんな 『つもり』 で言ったとしても、それが否定的に受け取られてしまったら、それは結局、そういうことなんです。
もちろん、同じコトバを発しても、その発信者によって、受け手の解釈が変わることもある。
それでもやっぱり、『どう受け取られるか』 が、その発されたコトバの持つ意味となってしまうのではないかと思うのです。
・・・カンの良い方は、何故、今日、silkymilk がこのような話題を記事にしているか、既にお気づきでしょう。
そう・・・ ( ̄― ̄;
僅か数日間で辞任された、某大臣。 ( ̄ー ̄;ゞ
確かに優秀なお方なのかもしれない。
でも、切り取られて放映されていたその発言、やっぱり 『上から目線』 で 『お客様』 で・・・
被災地で起こっていることは、所詮 『遠くの地』 のハナシだと思っているのではないか・・・
あくまで、安全な地から見ているだけなんじゃないか・・・
そんなことを窺えてしまう発言であったことに、間違いはないと思います。 f( ̄― ̄;
そこに、被災者の方々を心底思いやるココロは、残念ながら見受けられなかった・・・
昨夜の 『News Zero』 で、村尾キャスターが言っていた、
「特にこの状況下で、コトバというモノは、発言者の意図がどうであったか、ということでなく、どう受け取られたか、というモノなのだと思います」 (細かい言い回しは違いますが・・・ f( ̄― ̄; )
というコトバ、それこそが、今、公共の場で発言される方々、そして何より日本の政治家の方々が、ココロに刻み込んで欲しいものだと思った、silkymilk だったのでした・・・ ( ̄― ̄;;;