お母さんへ
 
 
 
貴女がこの世を去ってから、16年が経ちました。
 
この夏は、17回忌です。
 
貴女の娘も、あれから16歳、歳をとりました。
 
 
 
小さい頃から周りの人に、私は貴方にそっくりだと言われて育ちました。
 
お父さんも最期は、私のコトを貴女と間違えていましたね。
 
正直、この顔のどこが貴女に似ているのか・・・  未だにわかりません。
 
 
でも、いつの頃からか・・・
 
私の 『中身』 がとても貴女に似ているのだ、ということに気づきました。
 
貴女がいなくなって、私が歳を重ねる度に、その思いは強くなります。
 
 
3人姉妹の中でも、きっとそんな私のコトが一番かわいかったんでしょうね。
 
「ありがとうね・・・」
 
それが、貴女が私に言った、最期のコトバでした。
 
でも、それを理解するのには、私はあまりに未熟だった・・・
 
 
 
もう病気が進行した貴女の家を訪れたとき、夕方、帰ろうとする私を、おぼつかない足取りで追いかけてきた貴女。
 
駐車場で車のエンジンをかける私に、 『家に戻ってきて、一緒に暮らして欲しい』 と頼みましたね。
 
でも私は、あまりにも無碍に、あまりにも冷たく、断った。
 
「あ、無理。」
 
 
あの時の貴女の哀しそうな表情は、20年近く経った今でも忘れられません。
 
 
酷い娘でした。
 
恩も、感謝も、何も知らない娘でした。
 
 
 
貴女のお葬式の日。
 
いつも通り 『明るい接待係役』 の私が、それでも、どうしても耐えられず、誰もいないキッチンに下がって膝を抱えていたとき・・・
 
思わず呟いていました。 「ママ・・・」
 
 
お姉ちゃんが生まれた時、そのときまだ若かったお祖母ちゃんを 『お母さん』、そして貴女を 『ママ』 と呼ぶというルールができたそうですね。
 
でも私は小学校の担任の先生にそれを笑われ、以来、ずっと貴女のことを 『お母さん』 と呼んでいました。
 
『ママ』 でない貴女との距離を感じながら。
 
心の中の 『ママ』 と、目の前にいる 『お母さん』 と。
 
 
でも、あの時は理屈じゃなかったんです。
 
ママが旅立ってしまった。
 
そのことで私のココロは押しつぶされそうでした。
 
 
あの時、貴女が可愛がっていた猫のポリがやってきて、そっと私の横に座ってくれたんですよ。
 
いつもイタズラをする私のことが大嫌いだった、ポリ。
 
私の姿を見つけると、いつもどこかへ逃げてしまっていた、ポリ。
 
でも、何が起こったのか、わかっていたのでしょうね。
 
 
 
あれから16年。
 
歳を重ねるごとに、貴女への感謝が深まります。
 
きっと、まだ貴女がここにいたらわからなかった、感謝の気持ち。
 
 
あんな親不孝な娘でしたが、ひとつだけ、最大の、そして最高の親孝行をした自信があります。
 
貴女が生きている間は健康でいたこと。
 
病気を見つけたとき、ひとりでの闘病の不安以上に、貴女がもういないことの安堵を覚えました。
 
 
もし貴女がまた生きていたら・・・
 
たとえ 『非浸潤癌だから、外科手術で完治だから』 と言っても、きっと、その胸は心配で心配で心配で心配で、はちきれんばかりになったことでしょう。
 
それでも不器用なあなたは、ちょっと 『むっ』 とした表情で、私の身の回りをてきぱきと世話したことでしょう。
 
心配をおくびにも出すことなく・・・
 
そんな思いをさせずに済みました。
 
あと何十年後かにそちらで会った時は、ひとりで頑張って乗り越えた私を褒めて下さいね。
 
 
 
 
決してうまくいっていた家族ではなかった。
 
望んで生まれてきたのではないのだと、いつも思っていた。
 
 
でも、貴女がくれた命だから、大切に生きようと思います。
 
この感謝の心は、貴女がその命をもって、教えてくれました。
 
だから、これからも大切に生きていこうと思います。
 
 
 
 
街では、 『母の日』 のカーネーションがたくさん売られています。
 
子供の頃は貴女への感謝の気持ちなどわからず、学校で貰うカーネーションの造花を名札と一緒に付ける日だ、くらいに思っていました。
 
 
 
心から、感謝ができるようになった今は・・・
 
貴女はここにいません。
 
 
 
でも、いつもと同じこの思いを、改めて伝えさせて下さい。
 
 
 
 
 
お母さん。 この世に産んでくれて、ありがとう。
 
私は、貴女の娘に生まれたことが、何よりの誇りです。