細かい差別のような事って無くならない。言い換えれば、人って高いところから自分のことは悟られず、人のことは把握し、マウントを取り、見下して批判したい気持ちが強いとも思う。難しいのが、そのような人達のその行動や言動も自分の人間性を保つための生き方だったりするからだ。

 

それをいうなら、私の今書いている内容だって、比較的抽象的ではあるが、上記の人々がとる行動をブログという格好で公開し、自分を保っているとの見方もできる。

 

ですが、囚われたくは無いですので、自分の将来のための行動を取り続けるためには、自分が住み良いような環境を自分で作っていく事も重要です。細かいモラハラみたいな事が発生したら、それを見ないのではなく、その状況が発生しないような状況を自ら作っていく事が大事。モラハラを発生させる人物の好きな様にはさせない”手”をサラリと打って、状況を打開して行く事が大事ですね。マウントの取り合いみたいな状況になってしまいますが、不当に感じれば動くしか無いのです。

 

面白いのが(面白がってはいけないけど)モラハラをしてくる人って、いじめっこ体質なんだと思うんだけど、モラハラを発生させる事を面白がっている節があるから、人を選んでいじめをしてくると思うんですよね。ですけど、対象となった人物が、毅然と対応し出すと焦り出しますよね。毅然と対応とは、状況を冷静に言葉で説明し、その言霊が扇動的な力を持つ場合です。これは、頭脳プレーになるのですが、稚拙な対応には大人の対応をして行く、これに限ります。泣き寝入りはしないでください。

 

その兆しを見せるだけでも良いのです。普通にしていて、違和感を感じる様な人間関係が構築され、間違った全体主義に進みそうになっている場合は、例え多数派に押されようとも信じた道を進んでください。日々の俗事に巻き込まれない様にね。描いた将来と言う設計図を実現するためには。