"〇〇させたい"と
求めているうちは
それを叶えることができない!?
"子どもに"勉強をさせたい
"子どもに"頑張らせたい
こんな風に
"〇〇させたい"という場合、
主語はいつも他者である。
自分が誰かに〇〇させたくても
本人が〇〇したいか、はわかりません。
誰かに"〇〇させたい"は、
自分の意見を
押し付けてしまっているのかも。
人は"誰か"を変えることはできません。
変えることができるのはいつも"自分"
と、恩師に教えてもらったことがあります。
"相手"ではなく
自分に何ができるのか?
を考えられたとき、
きっと
変化が起き始めます^_^
勉強に関わる仕事をしていると
ついつい
"〇〇させたい"を発動させてしまいがち。
そんな時は、
"私は"どうしたいの?
"私は"何ができるのか?
というように
主語を"自分"にして
考えるように思考転換しています。
子どもに求めているうちは
変わりません。
受験を通して
子どもが変化していくのもそうですが、
先生も、親も変化していくのを試されている
のではないでしょうか?
難しいですが、
自分の思いを"手放す"くらいが
ちょうど良いのかも。
つまり
受験って
子どもたちも頑張れ!ですが
先生も、親御さんも頑張れ!です。
そう思いませんか〜?